都久夫須麻神社 (つくぶすまじんじゃ)
本殿移築:1602年
【概説】
琵琶湖に浮かぶ竹生島(滋賀県長浜市)に位置し、豊臣秀吉ゆかりの建築遺構を今に伝える神社。本殿は京都の伏見城の遺構を移築したものと伝えられ、豪華絢爛な桃山美術の粋を集めた建築として国宝に指定されている。神仏習合の歴史や、安土桃山時代の権力者の美意識を現代に伝える重要な文化財である。
神仏習合の聖地としての竹生島
琵琶湖の北部に位置する竹生島は、古代より湖水の神や山の神が宿る霊地として人々の信仰を集めてきた。都久夫須麻神社(竹生島神社)は、地元の産土神である浅井姫命や、市杵島比売命(弁才天)などを祭神として祀っている。中世以降は仏教の伝播に伴い、隣接する天台宗の真言宗寺院である宝厳寺と一体化し、「竹生島弁才天」として神仏習合の信仰が広く定着した。近世を通じて武家や庶民の巡礼地として栄えたが、明治維新期の神仏分離令(神仏判然令)によって宝厳寺と分離され、現在の都久夫須麻神社となった経緯を持つ。
伏見城の面影を伝える国宝・本殿
都久夫須麻神社の本殿(国宝)は、豊臣秀吉が京都に築いた伏見城の「日暮御殿」の一部を移築したものと伝えられている。秀吉の没後、その跡を継いだ豊臣秀頼が、片桐且元を奉行として慶長7年(1602年)に京都から琵琶湖を渡って移築・再建させた。この本殿の内陣は、狩野光信の筆と伝わるきらびやかな天井画や、柱・梁に施された緻密な蒔絵、色鮮やかな彫刻によって埋め尽くされている。これらは、金碧障壁画に代表される桃山文化の絢爛豪華な美意識と、織豊政権の強大な権力を視覚的に証明する貴重な建築遺構である。