GATT11条国

1963年、日本が経済力をつけ、国際収支の悪化を理由として貿易(輸入)の制限を行うことができない国に移行したが、これを「何条国」というか?
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重要度
★★

GATT11条国 (がっとじゅういちじょうこく)

1963年

【概説】
国際収支の悪化を理由とした輸入制限が認められない、関税および貿易に関する一般協定(GATT)第11条を遵守すべき国のこと。高度経済成長によって国際競争力を高めた日本は、1963年にこの11条国への移行を勧告され、翌年に正式移行した。これにより日本は、貿易の自由化を義務づけられた「開放経済体制」へと本格的に突入することとなった。

GATT第11条の原則と日本の立場

第二次世界大戦後の国際経済秩序を支えたGATT(関税および貿易に関する一般協定)は、自由・無差別・多角的な貿易の推進を基本理念としていた。その中核となる第11条では、原則として輸出入の数量制限を禁止している。しかし、国際収支が赤字で外貨が極端に不足している発展途上国などに対しては、例外として第12条に基づき、外貨流出を防ぐための輸入制限が認められていた(12条国)。

1955年にGATTへの加盟を果たした日本は、当時はまだ戦後復興の途上にあり、恒常的な外貨不足に悩まされていたため、この「GATT12条国」として国内産業の保護や輸入制限を行うことができた。しかし、1950年代後半からの高度経済成長によって日本の輸出競争力は飛躍的に向上し、国際社会(特に米国や欧州諸国)から日本の貿易制限に対する不満が高まり、自由化を求める圧力が急速に強まることとなった。

11条国への移行と「開放経済体制」の形成

こうした外圧を受け、池田勇人内閣は1960年に「貿易・為替自由化大綱」を閣議決定し、段階的な貿易自由化を推進した。日本経済が質量ともに国際水準に達したと判断したGATT理事会は、1963年2月、日本に対してGATT11条国への移行を勧告した。日本政府はこの勧告を受諾し、準備期間を経て翌1964年4月に正式に11条国へと移行した。これにより、日本は「外貨不足」を理由に輸入制限を課す特権を失った。

この移行は、ほぼ同時期に行われた為替取引の自由化を意味するIMF(国際通貨基金)8条国への移行(1964年4月)、および先進国クラブと呼ばれるOECD(経済協力開発機構)への加盟(1964年4月)と連動していた。これら一連の国際経済体制への完全参入により、日本経済はそれまでの保護された「閉鎖体制」から、国際競争に直接さらされる「開放経済体制」へと大転換を遂げた。

経済界への影響と歴史的意義

GATT11条国への移行は、国内産業、特に国際競争力の弱かった農業や自動車、電子機器などの製造業にとって大きな試練となった。政府や産業界は、外国製品の流入や外資の参入に対抗するため、企業の合併(産業再編成)や生産設備の近代化・合理化を急ピッチで進めた。

結果として、この厳しい国際競争への直面が日本の製造業のさらなる技術革新と体質強化を促し、1960年代後半のさらなる高度経済成長を支える原動力となった。GATT11条国への移行は、日本が戦後の復興期を完全に脱し、名実ともに国際社会における「先進国」として承認された歴史的な節目であったといえる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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