貿易・為替の自由化と資本の自由化
【概説】
高度経済成長期の日本において、外国品に対する輸入制限や外国為替の規制を撤廃し、外資による国内直接投資を段階的に解禁した一連の政策。日本経済が保護された「閉鎖体制」から、国際競争に直面する「開放体制(オープン・エコノミー)」へと移行する画期となった。
国際経済社会への復帰と「開放体制」への移行背景
第二次世界大戦後の復興期における日本は、国際収支の赤字を防ぎ、脆弱な国内産業を保護・育成するために、厳格な輸入制限や外国為替管理を行っていた。しかし、1950年代後半からの高度経済成長によって日本が国際市場での存在感を強めると、欧米諸国から市場開放を求める「外圧」が激化した。これを受け、政府は1960年に「貿易・為替自由化計画大綱」を閣議決定し、それまでの閉鎖的な経済体制から、国際社会と対等に競合する「開放体制」への転換を本格化させた。
貿易・為替自由化の進展と先進国への仲間入り
貿易と為替の自由化は、1960年代前半にかけて急速に推進された。1963年に日本は、国際収支の悪化を理由に輸入制限を行うことが認められないGATT(関税および貿易に関する一般協定)11条国へ移行。翌1964年には、経常取引における為替制限の撤廃を義務づけられたIMF(国際通貨基金)8条国へと移行した。同年にはOECD(経済協力開発機構)への加盟も認められ、日本は名実ともに西側先進国の一員となった。この一連の国際経済体制への完全復帰は、同年の東京オリンピック開催と並び、戦後復興の完了と経済的自立を象徴する出来事であった。
資本の自由化と国内産業の構造改革
貿易・為替の自由化に続いて大きな課題となったのが、外国資本が日本の国内企業に対して直接投資や買収を行うことを認める「資本の自由化」であった。国内の財界や通商産業省(当時)は、資本力に勝る巨大外資に国内市場が支配される「第二の黒船襲来」を深く警戒した。しかし、OECD加盟国としての義務を果たすため、政府は1967年から1973年にかけて5次にわたる段階的な自由化を実施し、最終的に原則100%の自由化を達成した。この過程で、国内の自動車や電機、化学などの主要産業は、外資に対抗すべく企業の合併・提携や生産の合理化を推進した。結果として、この自由化による「外圧」が産業界の構造改革を促し、日本企業の国際競争力を飛躍的に向上させ、その後の輸出大国としての地位を確立する契機となった。