平民苗字許容令

1870年、新政府が平民に対しても公的に苗字(名字)を名乗ることを許可した法令は何か?
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重要度
★★

平民苗字許容令 (へいみんみょうじきょようれい)

1870年

【概説】
明治新政府が1870年(明治3年)に布告した、一般の平民に対して苗字(名字)を名乗ることを公的に許可した太政官布告。江戸時代における支配階級の身分的特権を解体し、近代国家の基礎となる「四民平等」を推進するために発せられた社会・制度改革の一つである。

近世の身分制打破と「四民平等」への歩み

江戸時代の日本社会では、公式の場で苗字を名乗り、刀を差す権利である「苗字帯刀(みょうじたいとう)」は、武士を中心とする支配階級の特権とされていた。一部の有力な百姓や町人が特権的に許されるケースはあったものの、圧倒的多数の平民は、私的に苗字を所有していても、公的にそれを名乗ることは禁じられていた。

明治維新によって発足した新政府は、欧米列強に対抗しうる近代的な中央集権国家を建設するため、旧来の封建的な身分制度の解体に着手した。1869(明治2)年の版籍奉還に伴い、公家や大名は「華族」、旧武士層は「士族」「卒」、農工商は「平民」へと再編された。この四民平等の流れの中で、1870年9月19日に出された太政官布告が「平民苗字許容令」である。これにより、旧来の身分的制約が撤廃され、すべての平民に苗字を名乗る道が開かれることとなった。

「許容」から「義務」へ:平民苗字必称令への展開

しかし、平民苗字許容令はあくまで苗字を名乗ることを「許した(任意とした)」に過ぎず、義務ではなかった。そのため、この法令が出された後も、実際に苗字を名乗る平民は少数にとどまった。その背景には、明治新政府に対する警戒感があった。当時の平民の間では、「苗字を登録すると、新しい税金を課せられるのではないか」「徴兵の対象にされるのではないか」といった噂が流れ、あえて苗字を届け出ない者が多く存在したのである。

その後、政府が近代的な戸籍制度(1872年の壬申戸籍)を整備し、国民一人ひとりを正確に把握しようとする過程で、苗字の未統一は行政上の大きな支障となった。特に徴兵制の運用や税制改革(地租改正)を円滑に進めるためには、国民全員に苗字を持たせる必要があった。そこで政府は、許容令から5年後の1875(明治8)年2月、新たに「平民苗字必称令(ひっしょうれい)」を布告し、すべての国民に苗字の使用を義務づけることとなった。これにより、日本の近代的家制度や戸籍制度における国民の姓名のあり方が確定することとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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