IMF8条国
【概説】
1964年に日本が移行した、国際収支の悪化を理由とする外国為替制限(経常取引制限)が認められない国際通貨基金(IMF)協定上のステータス。これにより日本は、貿易および為替の自由化を義務づけられた「開放経済体制」へと完全に移行することとなった。
14条国からの脱却と自由化への道程
第二次世界大戦後の日本は、国際通貨基金(IMF)に加盟した際、国際収支の赤字を理由に外貨制限や輸入制限が認められるIMF14条国として出発した。戦後復興期の日本経済は外貨(特に米ドル)が圧倒的に不足しており、政府が外貨予算制度を通じて外国為替を厳格に管理し、国内産業の保護と育成を図る必要があったためである。
しかし、1950年代後半から高度経済成長が本格化すると、欧州主要国が相次いで外貨制限を撤廃し、国際社会において自由貿易・自由為替の機運が高まった。日本に対しても、アメリカをはじめとする先進国から貿易・為替の自由化を求める圧力が強まった。これを受け、1960年に池田勇人内閣は「貿易・為替自由化大綱」を閣議決定し、段階的な自由化を進める方針を打ち出した。これにより、国内の産業保護から国際競争への適応へと、政策の舵が大きく切られることとなった。
「開放経済体制」への移行とその歴史的意義
1964年4月、日本は正式に国際収支の悪化を理由とする為替制限ができないIMF8条国へと移行した。また、これに先立つ1963年には、貿易制限を禁止するGATT(関税および貿易に関する一般協定)11条国への移行も決定していた。さらに1964年4月中旬には、資本取引の自由化を義務づけるOECD(経済協力開発機構)への加盟も認められた。これら一連の動きにより、日本は外貨管理による保護貿易体制(閉鎖経済体制)に終止符を打ち、国際社会と対等に競合する開放経済体制へと名実ともに突入した。
IMF8条国移行とOECD加盟を果たした1964年は、同年に開催された東京オリンピックや東海道新幹線の開業と並び、日本が戦後復興を完全に遂げ、国際社会において先進国の仲間入りを果たしたことを象徴する記念碑的な年となった。以降、日本企業は海外資本の参入や外国製品との激しい競争に晒されることとなったが、これがかえって技術革新や産業の合理化を促し、さらなる高度経済成長へと繋がることとなった。