A級戦犯 (えーきゅうせんぱん)
【概説】
第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)において、「平和に対する罪」で起訴された日本の共同謀議者・戦争指導者に対する呼称。連合国側によって日本の侵略戦争の企画・開始・遂行を主導したとみなされた政治家や軍人たちがこれに該当する。
「平和に対する罪」と戦犯のカテゴリー分類
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が主導して開催した極東国際軍事裁判(東京裁判)において、戦争犯罪人はA級・B級・C級の3つのカテゴリーに分類された。このアルファベットは罪の重さを表すものではなく、適用された罪状の法的定義に基づいている。
A級戦犯は「平和に対する罪(侵略戦争の企画、準備、開始、または遂行)」で起訴された国家指導者を指す。これに対し、B級戦犯は「通例の戦争犯罪(戦時国際法に違反する虐殺や捕虜虐待行為など)」、C級戦犯は「人道に対する罪(非戦闘員に対する組織的な虐殺や奴隷化など)」で起訴された者を指す。A級戦犯の訴追は、指導者個人の刑事責任を国際裁判によって追及するという、従来の国際法にはなかった画期的な試みであった。
裁判の展開と「法の不遡及」をめぐる議論
1946年(昭和21年)5月に開廷した東京裁判では、元首相の東條英機や広田弘毅ら計28名がA級戦犯として起訴された。判決までに3名が死亡または精神疾患により除外され、最終的に25名に対して判決が下された。1948年(昭和23年)11月、東條英機を含む7名に絞首刑(死刑)、16名に無期禁錮、2名に有期禁錮の判決が下され、同年12月23日に巣鴨プリズンで死刑が執行された。
なお、この裁判においては、GHQの政治的判断(戦後占領統治の安定化など)により、昭和天皇の訴追が見送られた。また、判事の一人であったインドのパール(パル)判事は、裁判当時における「平和に対する罪」が事後法(行為の後に作られた法)であることを指摘し、近代法の原則である「法の不遡及(過去に遡って法を適用してはならない)」に反するとして、被告全員の無罪を主張した。
戦後日本における位置づけと「靖国合祀問題」
日本は1951年(昭和26年)に署名したサンフランシスコ平和条約の第11条において、東京裁判の判決(国裁判決)を受諾し、国際社会への復帰を果たした。国内では1950年代に戦犯の恩赦や名誉回復を求める運動が活発化し、国会決議などを経て、戦犯として刑死・獄死した人々も国内法上は「公務死」などとして扱われるようになった。
しかし、1978年(昭和53年)に靖国神社が東條英機ら14名のA級戦犯(合祀時点では全員物故者)を密かに合祀したことが、後に社会問題化した。この合祀に強い不快感を示した昭和天皇はこれ以後、靖国神社への参拝を中止したとされる。現在でも、首相や閣僚による靖国神社参拝は、中国や韓国などの近隣諸国から「過去の侵略戦争を正当化するもの」として批判を浴びるなど、東アジアにおける歴史認識摩擦の象徴的な問題であり続けている。