極東国際軍事裁判(東京裁判)

1946年5月に市ヶ谷で開廷し、東条英機ら日本の戦争指導者を「平和に対する罪」などで裁いた連合国側の軍事法廷を何というか?
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極東国際軍事裁判(東京裁判)

1946年〜1948年

【概説】
日本の主要な戦争犯罪人を裁くため、1946年(昭和21年)から1948年にかけて東京で開かれた国際軍事法廷である。通称は東京裁判。ポツダム宣言に基づいて設置され、日本の国家指導者たちが「平和に対する罪」などで起訴され有罪判決を受けた。

裁判の設置背景と法的根拠

第二次世界大戦における日本の降伏条件を定めたポツダム宣言の第10条には、「一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加える」ことが規定されていた。これを受け、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは1946年1月に「極東国際軍事裁判所条例」を公布し、裁判所の設置を命じた。

この裁判は、先行してドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判と並び、第二次世界大戦の戦勝国である連合国側が、敗戦国である枢軸国の指導者の戦争責任を問うという、歴史上かつてない国際軍事法廷であった。

戦争犯罪の定義と「A級戦犯」

極東国際軍事裁判所条例では、管轄する犯罪として以下の三つが定義された。第一に「平和に対する罪(A項)」であり、侵略戦争の計画・準備・開始・遂行などを指した。これが通称「A級戦犯」の根拠である。

第二に「通例の戦争犯罪(B項)」で、従来の戦時国際法に基づく戦争法規・慣例の違反(捕虜虐待など)を指し、これが「B級戦犯」である。第三に「人道に対する罪(C項)」で、国家の政策として行われた一般市民への殺戮や迫害などを指す「C級戦犯」である。

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、主に「平和に対する罪」に問われた日本の国家指導者(政治家や軍人)たち28名が起訴され、法廷に立たされた。なお、B級・C級戦犯については、フィリピンや中国などアジア各地で開かれた軍事裁判(横浜裁判や各地のBC級戦犯裁判)で個別に裁かれている。

審理の経過と判決

裁判は1946年5月3日、東京の旧陸軍士官学校(市ヶ谷台)で開廷した。オーストラリアのウェッブを裁判長とし、アメリカのキーナンが首席検事を務めた。判事は連合国11カ国(米・英・ソ・中・仏・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・インド・フィリピン)から1名ずつ派遣された。

起訴された28名のうち、審理中に病死した松岡洋右と永野修身、精神障害により免訴となった大川周明を除く25名に対して、1948年11月12日に判決が言い渡された。全員が有罪とされ、元首相の東条英機や広田弘毅ら7名が絞首刑、16名が終身禁固刑、2名が有期禁固刑となった。なお、昭和天皇の戦争責任については、占領政策を円滑に進めたいアメリカの政治的判断などもあり、起訴は見送られた。

歴史的評価と「勝者の裁き」をめぐる論争

極東国際軍事裁判は、日本の軍国主義と侵略の責任を国際社会の場で追及したという点で大きな歴史的意義を持つ。日本は1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約第11条においてこの裁判の諸判決を受諾し、国際社会への復帰を果たした。

一方で、この裁判については当時から現在に至るまで様々な批判や議論が存在する。最大の問題点として指摘されるのは、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」という概念が、行為の後に作られた法律で裁くことを禁じる「事後法の禁止(罪刑法定主義)」の原則に反しているのではないかという点である。また、戦勝国である連合国側が自らの戦争犯罪(原爆投下や都市への無差別爆撃など)を不問に付し、敗戦国のみを裁いた「勝者の裁き」であるとの批判も根強い。

インド代表のパル判事は、このような法理的矛盾を厳しく指摘し、被告全員の無罪を主張する個別意見書(パル判決書)を提出したことで知られている。東京裁判は、単なる戦争犯罪の処罰にとどまらず、国家の戦争責任のあり方や国際法の発展という観点から、現代においても重要な問いを投げかけ続けている出来事である。

教科書が絶対に教えない東京裁判―日本はこうして侵略国家にさせられた

GHQの占領政策による歴史の歪みを糾弾し、東京裁判の隠された真実と日本が背負わされた汚名を解き明かす刺激的な一冊。

東京裁判論

裁判の構造的欠陥や国際法上の矛盾を鋭く突き、東京裁判という歴史的事象の全貌と本質を問い直す重厚な論考の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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