B・C級戦犯

第二次世界大戦後の戦犯裁判において、平和に対する罪に問われたA級戦犯に対し、戦地での捕虜虐待や非人道的な行為など「通常の戦争犯罪」に問われ、各地で裁かれた戦犯を何というか?
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重要度
★★

【参考リンク】
BC級戦犯(Wikipedia)

B・C級戦犯 (びー・しーきゅうせんぱん)

1945~1951年

【概説】
第二次世界大戦後に連合国が各地で実施した軍事裁判において、通例の戦争犯罪や人道に対する罪に問われた日本の軍人・軍属らの総称。指導者の「平和に対する罪」を裁いたA級戦犯に対し、主に現場での捕虜虐待や民間人殺害などの実行犯や直接的命令者が裁きの対象となった。

「平和に対する罪」と「通例の戦争犯罪・人道に対する罪」の区分

第二次世界大戦後の連合国による戦犯裁判は、国際軍事裁判所条例に基づき、罪状によってA級・B級・C級の3つに分類された。このうちA級戦犯は「平和に対する罪」(侵略戦争の共同謀議や開始)に問われた戦争指導者たちであり、東京の極東国際軍事裁判(東京裁判)にて一括して裁かれた。

これに対し、B級戦犯は戦時国際法に違反する「通例の戦争犯罪」(捕虜虐待、非戦闘員殺害、略奪など)に問われた者、C級戦犯は「人道に対する罪」(戦前・戦中に行われた集団虐殺や奴隷化など)に問われた者を指す。しかし、実際の裁判手続きにおいては両者の区分は極めて曖昧であり、多くの場合「B・C級戦犯」として一括して扱われた。裁判は横浜のほか、マニラ、シンガポール、ラバウルなど、アジア・太平洋各地の連合国軍法廷(約50箇所)で個別に行われた。

命令服従のジレンマと戦犯裁判の実態

B・C級戦犯裁判の大きな特徴は、直接手を下した実行犯だけでなく、その行為を命じた、あるいは防止を怠った責任者(司令官など)も広く裁かれた点にある。日本軍の「上官の命令は天皇の命令」とする絶対的な服従精神のもとで行動した現場の将兵にとって、この裁判は苛烈な現実を突きつけるものとなった。国際法上「上官の命令」は原則として免責事由とは認められず、命令に従っただけの兵士や、捕虜収容所の監視にあたった低位の軍属までもが、次々と厳罰に処されたのである。

起訴された約5700人のうち、有罪判決を受けた者は約4400人に上り、そのうち約1000人に死刑(絞首刑または銃殺刑)が執行された。この数字は、A級戦犯における死刑執行者数(7人)をはるかに凌駕するものであり、多くの「現場の責任」が末端の将兵に帰せられた側面を否定できない。

植民地出身戦犯と戦後補償のねじれ

B・C級戦犯をめぐる問題は、戦後日本の戦後処理における深刻な歪みを浮き彫りにした。特に複雑な影を落としたのが、日本植民地であった朝鮮や台湾出身の軍属の存在である。彼らは主に連合国の捕虜収容所で看守などの任に就かされ、最前線の連合国兵士と直接接触したため、敗戦後に多くの者がB・C級戦犯として有罪判決を受けた(朝鮮人148人、台湾人173人が有罪、うち計47人が死刑執行)。

戦後、サンフランシスコ平和条約の発効(1952年)によって彼らが日本国籍を喪失すると、日本政府は「国籍がない」ことを理由に、彼らやその遺族を軍人恩給や遺族扶養などの援護対象から除外した。日本人戦犯に対しては、国内法の改正や国会決議を経て事実上の名誉回復と経済的補償が進められた一方で、元植民地出身の戦犯や遺族は補償から置き去りにされ、長年にわたる司法闘争と戦後補償問題という重い課題を残すこととなった。

法廷の星条旗: BC級戦犯横浜裁判の記録

横浜裁判の克明な記録を通じ、戦後処理の歪みと個人の尊厳を深く問い直す、司法の闇を照らし出す衝撃の書。

BC級戦犯裁判 (岩波新書 新赤版 952)

連合国による裁きという名の報復の実態を解き明かし、戦後日本の法と歴史の空白を突きつける、必読の歴史書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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