ヴィッカース社
【概説】
近代イギリスを代表する軍需・造船企業。1914年に発覚したシーメンス事件において、日本海軍の巡洋戦艦「金剛」の建造受注をめぐり、日本の海軍高官や代理店の三井物産に対して多額の賄賂を贈っていたことが明らかとなった外国企業である。
巡洋戦艦「金剛」の建造契約とリベート工作
1910年代初頭、日本海軍は主力艦隊の近代化を目指し、初の超弩級巡洋戦艦である「金剛」の建造を計画した。当時、日本の造船技術では超弩級艦の自国建造が困難であったため、海軍はイギリスの有力な軍需・造船メーカーであったヴィッカース社にその建造を発注した。この契約交渉の際、ヴィッカース社の日本における代理店であった三井物産を介し、巡洋戦艦の受注および兵器・艦材の納入に対する見返り(リベート)として、海軍艦政本部長であった松本和中将をはじめとする海軍高官へ巨額の賄賂が送られた。この不適切な資金提供が、のちの国家的大不祥事の伏線となった。
シーメンス事件の波及と山本権兵衛内閣の崩壊
1914年(大正3年)1月、ドイツの電機メーカーであるシーメンス社による日本海軍への贈賄工作(シーメンス事件)が発覚すると、その捜査の過程でヴィッカース社をめぐる汚職の全貌も明らかとなった。司法当局による三井物産関係者への取り調べや、イギリスでの訴訟報道を通じて、国家の軍事予算が外国企業の賄賂によって歪められていた事実が白日の下にさらされた。この事件は薩摩閥支配による海軍の特権性と不透明性を露呈させ、国民の激しい怒りを買った。連日のように激しい政府弾劾の民衆運動が展開され、貴族院が海軍予算を大幅に削減したことも追い風となり、薩摩閥の重鎮であった第一次山本権兵衛内閣は総辞職を余儀なくされた。ヴィッカース社を巻き込んだ汚職構造は、大正デモクラシー期における藩閥政治批判を決定的に加速させる象徴的な出来事となったのである。