扇の的 (おおぎのまと)
1185年
【概説】
源平合戦(治承・寿永の乱)における「屋島の戦い」の際、平氏軍が源氏軍を挑発するために小舟の帆柱に掲げた紅白の扇。これを源氏方の武将・那須与一が見事に射落とした故事は、軍記物語『平家物語』における最も有名な名場面の一つである。
屋島の戦いにおける「挑発」の背景
1185年(元暦2年/寿永4年)2月、源義経率いる源氏軍は、阿波国から讃岐国の平氏背後を急襲した。不意を突かれた平氏軍は、安徳天皇を奉じて海上へと逃れ、海陸を挟んだ対峙が続いた。夕刻になり戦闘が一時休止状態となった際、平氏方から一艘の小舟が進み出てきた。船上に美しく着飾った女房が現れ、赤地に金の日の丸が描かれた扇を竿の先に挟んで掲げた。これは、源氏方に対して「これを射抜いてみよ」という挑発であると同時に、夕暮れ時の緊迫した戦場における一種の余興であり、武芸の腕前を競う挑戦状でもあった。
那須与一の快挙と武士の美意識
源義経の命を受けた下野国の御家人・那須与一(宗隆)は、失敗すれば生きては戻らぬ覚悟を決め、愛馬を海中に乗り入れた。風が激しく吹き、的となる扇が揺れる極限の状況下で、与一は神仏に祈りを捧げて矢を放った。放たれた矢は見事に扇の要際を射抜き、扇は春風に舞って海へ落ちた。この神技に対し、敵である平氏も味方の源氏も等しく歓声を上げ、互いの武勇を称え合ったとされる。このエピソードは、単なる戦闘行為を超えた中世武士の「名誉」や「様式美」、そして敵味方を超えて優れた武技を称賛する中世の精神性を色濃く伝えている。