10円以上から3円以上へ
【概説】
1919年(大正8年)、原敬内閣による衆議院議員選挙法改正によって実施された、選挙権の直接国税納税要件の緩和措置。それまでの「10円以上」から「3円以上」へと引き下げられたことで有権者数が約2倍に増加した。大正デモクラシー期における制限選挙から普通選挙への過渡期を象徴する選挙制度改革である。
原敬の政党戦略と「段階的」制限緩和
1918年に「平民宰相」として期待を集めて成立した原敬の本格的政党内閣(立憲政友会)は、当時急速に盛り上がりを見せていた普通選挙運動に直面していた。野党や民衆は納税資格を一切撤廃する「普通選挙」の即時導入を激しく要求したが、原は急進的な社会変動や秩序の混乱を懸念し、時期尚早としてこれを拒否した。代わりに原が打ち出したのが、納税資格を「10円以上」から「3円以上」へと引き下げる妥協案であった。この背景には、急進的な労働運動や社会主義を警戒しつつも、政友会の主な支持基盤である地方の地主や自作農、都市の中小商工業者層を新たに有権者として取り込み、政友会の勢力を安泰にしようとする極めて現実的な政治的計算があった。
小選挙区制の導入と政友会の圧勝
1919年の選挙法改正では、納税要件の引き下げと同時に、選挙区制度が従来の「大選挙区制(一部中選挙区制)」から小選挙区制へと改められた。小選挙区制は、地元の有力者や地主層との繋がりが強い既存の大政党、特に与党である立憲政友会に圧倒的に有利な制度であった。翌1920年に行われた第14回衆議院議員総選挙では、原の狙い通り政友会が278議席を獲得して圧勝し、絶対多数の議席を確保することに成功した。納税要件の引き下げと小選挙区制の導入は、政友会による一党優位の政党政治を強固にするためのセットの改革であったと言える。
歴史的意義と普通選挙への道程
この改革により、有権者数は約145万人(総人口の約2.8%)から約307万人(同5.5%)へと倍増した。納税額「3円」という基準は、地方の自作農や都市の中流層にも門戸を開くものであった。しかし、依然として「直接国税の納税」という制限選挙の枠組み(制限選挙制)は維持されており、労働者や多くの貧困層、そして女性には選挙権が与えられないままであった。この不徹底な改革は、かえって普通選挙の即時実施を求める民衆運動(普通選挙運動)をさらに激化させる契機となり、1925年の普通選挙法(25歳以上のすべての男子へ選挙権を付与)制定へとつながる過渡期的なステップとしての重要な歴史的意義を持つ。