敦良親王 (あつながしんのう)
1009〜1045
【概説】
一条天皇の第三皇子で、母は藤原道長の長女・彰子(上東門院)。同母兄である後一条天皇の崩御に伴い、第69代天皇(後朱雀天皇)として即位した平安中期の皇族である。
藤原道長の権勢と東宮擁立
敦良親王は1009年(寛弘6年)、藤原氏の全盛期を築いた藤原道長の外孫として誕生した。兄の敦成親王(のちの後一条天皇)とともに、道長が強力に皇位継承を画策した皇子の一人である。1016年(長和5年)に後一条天皇が即位すると、敦良親王は皇太子に立てられた。これは、三条天皇の皇子である敦明親王が道長からの有形無形の圧力によって東宮を辞退したためであり、天皇家と藤原北家摂関家との密接な結びつきをより強固なものにする政治的意図のもとで行われた。
後朱雀天皇としての即位と歴史的位置づけ
1036年(長元9年)、兄・後一条天皇が男子のないまま崩御したため、敦良親王は避けることなく皇位を継承し、後朱雀天皇となった。在位中は道長の子である藤原頼通が関白として政権を主導し、摂関政治の安定期が保たれた。しかし、その治世後半には地方政治の乱れ(受領と在庁官人の対立など)が顕在化し始め、摂関支配体制の陰りが見え始める。後朱雀天皇の崩御後は、第一皇子の後冷泉天皇、さらに摂関家を外戚としない第二皇子の後三条天皇へと皇位が継承され、のちの院政期へと至る歴史の転換点において、重要な役割を果たした皇統の祖となった。