安保改定阻止国民会議

1959年、安保条約の改定に反対するため、社会党や総評などを中心とする革新勢力が広範に結集して作った運動の中核組織は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
安保闘争(Wikipedia)

安保改定阻止国民会議 (あんぽかいていそしこくみんかいぎ)

1959年結成

【概説】
1959年、日米安全保障条約(新安保条約)の改定を阻止するために結成された、革新陣営による大同団結の共闘組織。日本社会党や総評(日本労働組合総評議会)が中核となり、戦後最大の国民的運動となった「安保闘争」を組織的に指導した。

結成の背景と広範な統一戦線の形成

1957年に政権を握った岸信介内閣は、1951年に結ばれた旧日米安全保障条約の不平等性を解消すべく、条約改定交渉を進めた。しかし、改定案に「極東における有事の際の日米共同防衛義務」が盛り込まれたことから、革新陣営は「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる危険性が高まる」として激しく反発した。

これに対抗するため、1959年3月、日本社会党総評(日本労働組合総評議会)、平和遺族会などの諸団体が結集し、十三の団体を幹事団体とする「安保改定阻止国民会議」が結成された。さらに、これに呼応して全国の地方自治体や地域、職域、学園にも「県民会議」や「共闘会議」が次々と組織され、政党や労働組合の枠を超えた戦後かつてない規模の統一戦線が構築されていった。なお、日本共産党はオブザーバーとしてこの国民会議に参加した。

うねりを見せる「安保闘争」と国民会議の主導

国民会議は、新条約の署名・調印が行われた1959年から1960年にかけて、波状的な「統一行動」を呼びかけ、全国規模でのデモ行進、署名集め、職場集会などを組織した。運動が最大のピークを迎えたのは、1960年5月19日、衆議院の特別委員会において自民党が新条約案を強行採決した局面である。

この強行採決を機に、国民の反発は安保改定の是非そのものから「民主主義の危機」や「岸内閣退陣」へと変容していった。国民会議は国会議事堂周辺での連日のデモを組織し、参加者は学生(全学連)や労働者にとどまらず、一般の市民、主婦、文化人、学者などにまで急拡大した。1960年6月には、国民会議の呼びかけに応じた総評による政治ストライキが決行され、日本の社会と経済は一時的に麻痺状態に陥るほどの大きなうねりを見せた。

運動の帰結と戦後民主主義における歴史的意義

国民会議を指導母体とした激しい抵抗運動にもかかわらず、新日米安全保障条約は1960年6月19日に参議院での議決を経ないまま自然成立し、翌20日に発効した。岸内閣は混乱の責任を取って総辞職し、目的であった「改定阻止」自体は果たせなかった。

しかし、安保改定阻止国民会議が主導したこの運動は、日本の戦後史に極めて大きな教訓と意義を残した。それまで政党や一部の活動家に限定されがちであった政治運動を、主権者たる一般国民が自発的に参加する「大衆運動」へと開花させた。この経験は、その後の革新勢力や市民運動の原点となり、日本における平和主義や民主主義のあり方を決定づける契機となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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