東京渡辺銀行 (とうきょうわたなべぎんこう)
1927年
【概説】
1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌の直接の引き金となった中堅私立銀行。大蔵大臣片岡直温による議会での「破綻」失言を契機に取り付け騒ぎが発生し、実際に休業へ追い込まれた。
震災後の慢性不況と渡辺銀行の危機
東京渡辺銀行は、東京の有力財閥であった渡辺家が経営する中堅銀行であった。しかし、第一次世界大戦後の戦後恐慌や、1923年(大正12年)の関東大震災による打撃を受け、同行の経営は著しく悪化していた。当時、日本の金融界は決済不能となった震災手形を多数抱えて破綻の危機に瀕しており、東京渡辺銀行もまた、その焦げ付き手形を多く抱える整理対象銀行の一つとして、常に存続が危ぶまれる状況にあった。
片岡蔵相の「失言」と昭和金融恐慌の勃発
1927年3月14日、衆議院予算委員会において震災手形関連法案の審議が行われる中、大蔵大臣の片岡直温が「本日正午頃において、東京渡辺銀行がとうとう破綻いたしました」と発言した。実際には同行は資金繰りに奔走している最中であり、まだ破綻はしていなかったが、この現職蔵相による失言が瞬時に報道されると、預金者が預金を引き出そうと窓口に殺到する取り付け騒ぎが発生した。万策尽きた同行は同日中に休業を発表せざるを得なくなり、この混乱が他の中小銀行へと連鎖したことで、日本経済は本格的な昭和金融恐慌へと突入することとなった。