多国籍企業
【概説】
複数の国や地域に子会社、生産拠点、販売ネットワークを擁し、国境を越えてグローバルな経済活動を展開する巨大企業。日本においては、1970年代以降の経済構造の変化や貿易摩擦の激化、円高などを背景に、製造業を中心として急速にその展開が進んだ。
日本企業の多国籍化の歩みと背景
戦後の日本は、高度経済成長期を通じて「加工貿易」を中心に経済を発展させ、高性能な工業製品を世界中に輸出してきた。しかし、1970年代に入ると、ニクソン・ショックによる固定相場制の崩壊や二度のオイル・ショックを契機に、安定成長期へと移行した。この時期、日本の高い技術力に裏打ちされた自動車やカラーテレビなどの製品が米国市場を席巻し、深刻な貿易摩擦を引き起こすこととなった。これに対し、日本企業は輸出自主規制や現地生産へと戦略を転換せざるを得なくなり、海外直接投資を本格化させ、多国籍企業としての地歩を固めていった。
円高の進行とアジアへの生産拠点シフト
日本の多国籍企業化を決定づけたのが、1985年のプラザ合意に伴う急速な円高である。これにより、日本国内からの輸出は価格競争力を失い、企業はコスト削減のために労働力が安価な東南アジアや中国といったアジア地域へ生産拠点を移転した。これに伴い、従来の対米欧向けの現地生産だけでなく、グローバルな部品調達と最適地生産を組み合わせる、より複雑な国際分業体制が構築された。昭和後期から平成にかけて、日本の大企業は名実ともに国境を持たない多国籍企業へと変貌を遂げたのである。
多国籍企業化の功罪と「産業の空洞化」
多国籍企業の発展は、グローバル市場における日本企業の国際競争力を維持・向上させ、進出先国の近代化や雇用創出に貢献した。その一方で、日本国内の製造業拠点が海外へ流出したことにより、国内の製造業の衰退や雇用機会の喪失、下請け中小企業の経営悪化を招く産業の空洞化が深刻な社会問題となった。また、企業が国家の枠組みを超えて利益を追求する中で、労働分配率の低下や格差の拡大といった、現代社会に直結する新たな構造的課題も生み出されることとなった。