尾崎秀実 (おざきほつみ)
1901年〜1944年
【概説】
昭和戦前期に活躍したジャーナリスト、中国問題評論家。朝日新聞記者を経て、首相・近衛文麿のブレーン組織である昭和研究会に参画し、国政の最高機密に触れる立場となった。その裏で、ソ連のスパイであるリヒャルト・ゾルゲの諜報グループの主要メンバーとして国家機密をソ連側に提供し、ゾルゲ事件で逮捕・処刑された人物である。
近衛政権のブレーンとしての台頭
尾崎秀実はいち早く中国の抗日ナショナリズムの台頭に注目し、上海特派員などの経験を通じて中国問題の第一人者としての地歩を固めた。その卓越した情勢分析力が見込まれ、1930年代後半には近衛文麿の私的諮問機関である昭和研究会のメンバーとなり、第一次近衛内閣では嘱託として首相官邸に入り、国政の最高中枢に近接した。尾崎は中国問題の専門家として東亜協同体論などの政策提言を行い、軍部や政界に強い影響力を持つ知識人として暗躍した。
ゾルゲ事件とソ連への情報提供
しかし、尾崎のもう一つの顔は、ソ連の軍情報部(GRU)に直結した国際スパイ組織の核心メンバーであった。尾崎は1930年代前半に上海でドイツ人ジャーナリストを装うリヒャルト・ゾルゲと接触し、それ以降、日本政府の最高決定機関や軍部から得た軍事・外交上の機密情報をゾルゲに提供し続けた。特に1941年の独ソ戦開始の前後、日本の国策が「北進(対ソ参戦)」ではなく「南進(東南アジア進出)」に決定したという情報は、ソ連が極東の兵力を対ドイツ戦に集中させることを可能にし、第二次世界大戦の帰勢に決定的な影響を与えたとされる。1941年10月、対米開戦の直前に特高警察によって逮捕され、国防保安法および軍機保護法違反により1944年11月7日に死刑が執行された。