マリアナ沖海戦
【概説】
太平洋戦争末期の1944年6月、マリアナ諸島周辺を舞台に日米の機動部隊が激突した史上最大規模の航空海戦。日本海軍が誇る空母機動部隊の航空戦力が事実上壊滅し、本土防衛の生命線であった「絶対国防圏」の崩壊を決定づけた戦い。
「あ号作戦」の企図と「アウトレンジ戦法」の破綻
1944年、連合国軍の激しい反攻に直面した日本海軍は、マリアナ諸島を最終防衛線である絶対国防圏の要衝と位置づけ、連合艦隊の総力を挙げた決戦計画「あ号作戦」を発動した。小沢治三郎中将率いる第一機動艦隊は、米艦隊の艦載機航続距離の外側から攻撃を仕掛ける「アウトレンジ戦法」を採用。航続距離の優位性を活かして先制攻撃を加え、さらにグアム島などの基地航空隊と連携して挟撃することを企図した。
しかし、当時の日本軍は相次ぐ消耗戦で熟練パイロットを失っており、実戦経験の乏しい若年搭乗員が大半を占めていた。これに対し、米軍は早期警戒レーダーや防空管制システムを高度に発達させ、新兵器であるVT信管(近接信管)を導入して万全の迎撃態勢を整えていた。この結果、日本軍の攻撃隊は米軍の厚い防空網に阻まれ、その大半が目的地に到達する前に撃墜された。この一方的な戦闘の様相は、米軍側から「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄される惨敗であった。
絶対国防圏の崩壊と東条内閣の退陣
この敗戦により、日本海軍は最新鋭空母「大鳳」や「翔鶴」「飛鷹」を失い、約400機に及ぶ航空機と多数の貴重な搭乗員を喪失した。これにより、日本の空母機動部隊は事実上壊滅し、二度と組織的な作戦行動が不可能となった。制海権・制空権を完全に掌握した米軍は、サイパン島、テニアン島、グアム島を次々と攻略した。
マリアナ諸島の喪失は、日本の敗戦を決定づける致命傷となった。これによって米軍の新型超大型爆撃機B-29の基地がマリアナに置かれることとなり、日本本土全域が直接の戦略爆撃(本土空襲)の射程に入ったのである。この深刻な事態を受け、戦争指導体制に対する批判が強まり、軍事と政治の全権を握って独裁的権力をふるっていた東条英機内閣は総辞職を余儀なくされた。