五大改革指令
【概説】
1945年10月、GHQ最高司令官マッカーサーが幣原喜重郎首相に対して口頭で指示した、日本の民主化に向けた5項目の重要方針。婦人の解放、労働組合の結成奨励、教育の自由主義化、秘密警察の廃止、経済機構の民主化から構成され、戦後日本の政治・社会体制を根本から作り変える起点となった。
指令発出の歴史的背景と内閣交代
1945年8月のポツダム宣言受諾により敗戦を迎えた日本は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の非軍事化・民主化政策を受け入れることとなった。同年10月4日、GHQは政治犯の釈放や治安維持法・特別高等警察(特高警察)の廃止などを命ずる「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃の覚書」(いわゆる人権指令)を発出する。しかし、戦後初の主班となった東久邇宮稔彦王内閣は、この急進的な指令による治安維持法の廃止や内務官僚の罷免は国内の共産化を招くとして実行困難と判断し、指令翌日の10月5日に総辞職した。
その後を受けて組閣したのが、戦前の協調外交で知られる幣原喜重郎であった。10月11日、新首相に就任した幣原がマッカーサーを初訪問した際、マッカーサーから口頭で直接言い渡されたのが、日本の根本的な民主化を求める「五大改革指令」である。
五つの柱と具現化へのプロセス
五大改革指令は、日本の軍国主義を生み出した土壌を解体し、民主国家へと作り変えるための具体的な指針であった。その内容は以下の5項目に及ぶ。
第一に「婦人の解放」である。これを受け、同年12月に衆議院議員選挙法が改正され、満20歳以上の男女に選挙権が付与された。1946年4月の戦後初の総選挙では39名の女性議員が誕生し、日本政治史における画期的な転換となった。
第二に「労働組合の結成奨励」である。戦前は厳しく弾圧されていた労働運動を民主化の原動力と位置づけ、1945年12月に労働組合法が成立。後に労働基準法・労働関係調整法と併せて「労働三法」が確立し、労働者の団結権や団体交渉権が保障された。
第三に「教育の自由主義化」である。軍国主義的・超国家主義的な教育の徹底的な排除が求められ、修身・日本歴史・地理の授業が一時停止された。その後、1947年の教育基本法および学校教育法の制定により、6・3・3・4制の新学制に基づく民主的教育が敷かれた。
第四に「秘密警察の廃止(圧政的諸制度の撤廃)」である。これは先んじて出された人権指令の流れを汲むもので、思想弾圧の主軸であった特別高等警察や治安維持法が廃止され、国民の基本的人権を保障する基盤が整備された。
第五に「経済機構の民主化」である。少数の特権階級が経済を支配する構造が軍部と結びついて侵略戦争を引き起こしたという認識に基づき、財閥解体や農地改革が強力に推し進められた。持株会社整理委員会の設置や自作農創設特別措置法の制定により、独占資本の排除と寄生地主制の解体が図られた。
戦後改革における歴史的意義
五大改革指令は、GHQによる初期の対日占領政策の方向性を決定づける極めて重要な宣言であった。明治維新以降、富国強兵のもとで構築されてきた中央集権的・権威主義的な国家体制は、この指令に基づく一連の法整備・制度改革によって解体され、主権在民と基本的人権の尊重を柱とする近代民主主義社会へと移行していくこととなった。
また、この指令による社会各層の抜本的な変革は、翌1946年11月に公布される日本国憲法の精神を社会制度として先取りし、新憲法を受け入れるための地ならしをする役割を果たした。冷戦の激化に伴うアメリカの対日政策転換(いわゆる「逆コース」)が顕在化するまでの期間において、五大改革指令は最も理想主義的かつ急進的な民主化の象徴として、現代日本の政治経済の骨格を形成する決定的な意義を持ったのである。