憲法問題調査委員会

幣原内閣が憲法改正の調査・研究のために設置し、国務大臣を委員長として改正草案の作成にあたった委員会は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
日本国憲法(Wikipedia)

憲法問題調査委員会 (けんぽうもんだいちょうさいいんかい)

1945〜1946年

【概説】
太平洋戦争での敗戦直後、大日本帝国憲法の改正を検討するために幣原喜重郎内閣が設置した政府の調査委員会。国務大臣の松本烝治が委員長を務めたことから「松本委員会」とも呼ばれ、日本政府主導による憲法改正案の作成を模索した。

設置の背景とマッカーサーの示唆

1945(昭和20)年8月の敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーは、10月に就任したばかりの幣原喜重郎首相に対し、日本の民主化を求める「五大改革指令」を手渡すとともに、憲法の自由主義化(改正)を口頭で示唆した。これを受けた幣原内閣は同年10月25日、国務大臣(無任所)の松本烝治を委員長とする「憲法問題調査委員会」を設置した。委員会には、大正デモクラシー期に天皇機関説を唱えた美濃部達吉などの著名な憲法学者が顧問や委員として参画し、明治憲法の改正に向けた審議が開始された。

天皇主権の維持と「松本試案」

松本烝治らは、基本的には大日本帝国憲法の原則(天皇主権)を維持しつつ、議会の権限強化や臣民の権利の制限緩和など、一部の条文を修正するだけでGHQの要求を充足させようと考えていた。こうした保守的な姿勢のもと、1945年末までに「甲案」(保守的)と「乙案」(やや改革的)からなる、いわゆる「松本試案(憲法改正要綱)」がまとめられた。しかしこの試案は、国民主権や象徴天皇制、戦争放棄といった抜本的な民主化とは程遠く、実質的には明治憲法の「焼き直し」にとどまるものであった。

毎日新聞のスクープと「マッカーサー草案」の提示

1946(昭和21)年2月1日、毎日新聞がこの「松本試案」に近い段階の草案をスクープとして報じた。この報道によって日本政府の保守的な改憲方針を察知したGHQ民政局(GS)は、この内容では国際社会(特に天皇制廃止を求めるソ連やオーストラリアなど)を納得させられないと判断した。マッカーサーは日本政府の自発的な民主化改革を断念し、民政局に独自の草案(マッカーサー草案)を作成するよう命じた。わずか1週間ほどで作成されたこの草案は、日本政府に対して強く提示され、憲法問題調査委員会の試案は一顧だにされず破棄された。これが、のちの日本国憲法(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)の基礎へとつながっていくこととなった。

日本国憲法の制定過程 ― 大友一郎講義録

膨大な資料を紐解き憲法制定の真実に迫る、歴史探究の決定版講義録。

図説 日本国憲法の誕生 (ふくろうの本/日本の歴史)

豊富な図版と写真で憲法誕生の背景を視覚的にたどる、入門に最適な一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 埴輪の中で最も早く出現し、聖域を区切る垣根のように古墳の周囲にめぐらせて立てられた筒形の埴輪は何か?
Q. 安土桃山時代に日本へ来航し、貿易やキリスト教の布教を行ったポルトガル人やスペイン人のことを当時の日本人は何と呼んだか?
Q. 後嵯峨天皇の皇子で、のちに皇室が分裂した際、南朝(大覚寺統)の祖となった天皇は誰か?