国連軍
【概説】
朝鮮戦争において、北朝鮮の武力侵攻を受けた大韓民国を支援するため、国連安全保障理事会の決議に基づき、アメリカ軍を主力として編成・派遣された多国籍軍。その活動拠点となった日本に莫大な経済的恩恵をもたらすとともに、日本の再軍備や早期講和を促すなど、戦後日本の進路を決定づける大きな要因となった。
朝鮮戦争の勃発と国連軍の編成
1950年(昭和25年)6月25日、北緯38度線を越えて北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)軍が大韓民国へ侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発した。これを受けて国際連合安全保障理事会は、直ちに北朝鮮の行動を「平和に対する破壊」と認定して即時撤退を求めた。当時、ソ連は中国の国連代表権問題をめぐって安保理をボイコットして欠席していたため、拒否権が行使されることなく、韓国に対する軍事支援を加盟国に勧告する決議が採択された。
この決議に基づき、アメリカ合衆国を中心にイギリス、オーストラリア、トルコなど16か国からなる多国籍軍が編成された。これが朝鮮戦争における国連軍である。国連の旗の使用が認められ、初代国連軍最高司令官には、当時日本の占領統治を指揮していた連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーが任命された。
日本経済を救った「朝鮮特需」と後方支援
国連軍の主力であるアメリカ軍は日本から直接朝鮮半島に出撃したため、日本は必然的に国連軍の前線出撃基地および後方支援(兵站)基地としての役割を担うこととなった。アメリカ軍は、武器弾薬の製造や修理、軍用毛布、トラックなどの軍需物資の調達、さらには輸送や通信、港湾荷役といったサービスに至るまで、莫大な発注を日本企業に対して行った。
これにより生じた需要は特需(朝鮮特需)と呼ばれ、1949年のドッジ・ラインに伴う深刻なデフレ不況(安定恐慌)にあえいでいた日本経済に劇的なカンフル剤をもたらした。特需による外貨獲得と生産の急増は、日本が戦後復興を達成し、のちの高度経済成長へと向かう決定的な原動力となったのである。
軍事的空白と「警察予備隊」の創設
国連軍の結成と朝鮮半島への派遣は、戦後日本の安全保障政策を根本から転換させる契機ともなった。在日アメリカ軍の主力であった第8軍が相次いで朝鮮半島へ出動したことで、日本国内には治安維持の要となる深刻な「軍事的空白」が生じた。共産主義勢力による国内の騒乱を警戒したマッカーサーは、1950年7月、日本政府に対して7万5000人からなる警察予備隊の創設と、海上保安庁の増員を指令した。
警察予備隊は形式上こそ警察機関の一部とされたものの、実質的にはアメリカ軍式の装備と訓練を受けた軍事組織であった。日本国憲法第9条の下で「非武装化」されていた日本にとって、これは事実上の再軍備の端緒であり、のちの保安隊、そして現在の自衛隊へと直結する歴史的な転換点であった。
冷戦構造への組み込みと早期講和の実現
国連軍と、のちに介入した中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)との間で繰り広げられた激しい戦闘は、東西冷戦がアジアにおいて「熱戦」と化したことを意味した。この事態を受けて、アメリカは日本を「反共の防波堤」として西側陣営に確固たる形で組み込む必要性を痛感し、対日講和を急ぐこととなった。
その結果、1951年(昭和26年)に単独講和としてサンフランシスコ平和条約が結ばれ、日本は主権を回復すると同時に、日米安全保障条約を締結してアメリカ軍の継続的な駐留を認めた。なお、1954年には「国連軍地位協定」が結ばれ、1953年の朝鮮戦争休戦後も日本国内(横田飛行場など)に国連軍後方司令部が置かれ続けることとなった。このように、国連軍の存在とその活動は、日本の戦後経済の復興、防衛体制の構築、そして国際社会への復帰という極めて重大な歴史的プロセスの引き金となったのである。