中国人民義勇軍 (ちゅうごくじんみんぎゆうぐん)
【概説】
朝鮮戦争において、国連軍の北上により劣勢に立たされた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支援するため、中華人民共和国が派遣した大規模な軍隊。建国間もない中国が「義勇兵」の名目で実質的な正規軍を投入したものであり、朝鮮戦争を事実上の米中全面対決へと発展させ、東アジアにおける冷戦構造を決定づける要因となった。
「抗美援朝」の掲亡と義勇軍派遣の背景
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、当初こそ北朝鮮軍の圧倒的優勢で進んだものの、マッカーサー率いる国連軍の仁川(インチョン)上陸作戦によって形勢が逆転した。国連軍が38度線を越えて中朝国境の鴨緑江(おうりょくこう)付近にまで迫ると、1949年に建国されたばかりの中華人民共和国は、自国の安全保障に対する直接的な脅威と受け止めた。
中国共産党の毛沢東は、「抗美援朝(米国に抗し、朝鮮を救う)」を掲げて参戦を決意する。この際、米国との直接的な全面戦争(国家間での宣戦布告)を回避する外交的配慮から、国家の公式な正規軍ではなく、自発的に志願した兵士の集まりという名目をとって「中国人民義勇軍」と称して派遣された。実質的な司令官には彭徳懐が就任し、1950年10月以降、総数100万人を超える大軍が順次、朝鮮半島へと秘密裏に渡河・突入した。
米中激突と日本への多大な歴史的影響
中国人民義勇軍の参戦は、圧倒的な兵力を用いた猛烈な攻勢(人海戦術)により戦況を再び激変させた。国連軍は後退を余儀なくされ、戦線は再び38度線付近で膠着状態に陥り、1953年の休戦協定締結まで泥沼の消耗戦が続くこととなった。
この中国の軍事介入と朝鮮戦争の長期化は、隣国であり、当時は連合国軍の占領下にあった日本の戦後史に決定的な方向性を与えた。米国は東アジアにおける共産主義の防波堤として日本を位置づけ直し、占領政策を「非軍事化」から「再軍備」へと大きく転換させた。これにより、国内の治安維持の名目で警察予備隊(のちの自衛隊)が創設された。また、義勇軍参戦による戦争の長期化は、日本に膨大な軍需物資の発注(朝鮮特需)をもたらし、第二次世界大戦後の経済復興を急速に推し進める契機となった。さらに、この緊迫した国際情勢を背景に、米国は日本との早期講和を急ぎ、ソ連や中国などの共産圏を除外した形でのサンフランシスコ平和条約および日米安全保障条約の締結へと繋がることになり、日本は冷戦下の西側陣営に組み込まれることとなった。