日銀特融

金融恐慌の鎮静化のため、日本銀行がモラトリアムと並行して全国の銀行に対して行った、巨額の非常貸出し(特別融資)を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
日銀特融(Wikipedia)

日銀特融 (にちぎんとくゆう)

1927年

【概説】
1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌の際、日本銀行(日銀)が行った超法規的な特別融資。取り付け騒ぎに直面した民間銀行へ大量の資金を供給し、金融システムの崩壊を防ぐために実施された緊急避難的措置。

金融恐慌の勃発と台湾銀行の危機

第一次世界大戦後の戦後恐慌、そして1923年(大正12年)の関東大震災による震災手形の処理問題は、大正から昭和初期にかけての日本経済に重い足枷となっていた。こうした中、1927年3月に片岡直温蔵相が衆議院予算委員会で「東京渡辺銀行が破綻した」と失言したことをきっかけに、中小銀行に対する激しい取り付け騒ぎが発生した。

さらに4月には、経営破綻に陥った鈴木商店への巨額の貸し付けを行っていた台湾銀行(台湾の植民地中央銀行でありながら、実質的には政商への融資機関と化していた)が休業に追い込まれ、金融危機は全国へと拡大した。若槻礼次郎内閣は緊急勅令による救済を試みたが、枢密院の反対により否決され総辞職に追い込まれた。

高橋是清の断行と「裏白紙幣」の発行

後継となった田中義一内閣の蔵相・高橋是清は、事態の収拾のために強力な非常措置を講じた。まず、全国の銀行を一時休業させるとともに、3週間の支払猶予令(モラトリアム)を断行した。このモラトリアム期間中に、銀行が預金の払い戻しに応じるための十分な現金を用意できるよう、日銀が通常の枠組みを超えて行った特別融資が日銀特融(日本銀行特別融資)である。

この際、日銀は政府による損失補償(金融恐慌損失補償法などに基づく)を背景に、担保能力を超えた融資を無制限に実行した。急激な現金需要に対応するため、日本銀行は裏面の印刷を省いた「裏白(うらじろ)札」と呼ばれる急造の200円紙幣を大量に印刷し、各銀行の窓口に積み上げて預金者の不安を解消した。この視覚的な安心感と十分な資金供給により、取り付け騒ぎは急速に沈静化へ向かった。

金融界の再編と独占金融資本の成立

日銀特融による救済策は、当面の金融パニックを回避することには成功した。しかし、政府が最終的に背負った損失補償額は巨額にのぼり、財政負担の増大を招いた。また、この恐慌の過程で多くの中小銀行が淘汰され、預金は信頼性の高い五大銀行(三井・三菱・住友・安田・第一)へと集中した。

日銀特融は、国家権力が介入することで破綻した金融資本を救済する先駆的な事例となったが、その結果として、日本の金融産業における独占金融資本の支配力が決定的なものとなり、財閥の力がさらに強化されることとなった。これはのちの昭和恐慌期における日本経済のブロック化や、軍部台頭を許す経済的土壌を形成する一因となった。

昭和金融恐慌秘話 (朝日文庫 あ 4-70)

当時の市井の混乱と悲喜こもごもを人間ドラマとして鮮やかに描き出し、金融危機の裏側を活写した珠玉のノンフィクション。

昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)

日本経済の転換点となった未曾有の危機を客観的な史料から徹底的に解明し、時代背景と構造的欠陥を浮き彫りにした必読の書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 両統迭立において、亀山天皇の血統からなり、主に八条院領を経済基盤とし、後醍醐天皇を出してのちの南朝へとつながる皇統は何か?
Q. 福沢諭吉の提唱によって結成された実業家や知識人の社交クラブで、イギリス流の『私擬憲法案』を発表した団体は何か?
Q. 律令制における調や庸など、戸籍に登録された「人(成人男性)」を基準として課される税の方式を何というか。