モラトリアム(支払猶予令)
【概説】
1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌を沈静化するため、田中義一内閣の大蔵大臣・高橋是清が発令した緊急措置。預金の引き出しなど私法上の金銭債務の支払いを3週間一時的に猶予(制限)するものであり、日本銀行による特別融資の実施とあわせて未曾有の金融パニックを収束へと導いた。
昭和金融恐慌の勃発と未曾有の危機
1920年代の日本経済は、第一次世界大戦後の戦後恐慌や1923年の関東大震災に伴う震災手形問題などによって不良債権が累積し、慢性的な不況に喘いでいた。そうした中、1927年(昭和2年)3月、第1次若槻礼次郎内閣の片岡直温蔵相による「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」という議会での失言を契機として、全国規模で銀行への取り付け騒ぎが発生した(昭和金融恐慌)。
さらに、震災手形による不良債権を膨大に抱えていた商社・鈴木商店と、同社に巨額の融資を行っていた台湾銀行の経営危機が表面化する。若槻内閣は台湾銀行救済のための緊急勅令案を策定したが、政府の協調外交に反発する枢密院によって否決されてしまい、これを受けて若槻内閣は総辞職を余儀なくされた。この政治的混乱によって金融界のパニックは頂点に達し、全国の休業銀行は数十行に及ぶ事態となった。
田中義一内閣の成立とモラトリアムの発動
この国家的危機を受けて、立憲政友会総裁の田中義一が組閣し、大蔵大臣には財政政策の重鎮であり国民的信望も厚かった高橋是清が起用された。高橋蔵相は就任直後から事態の収拾に奔走し、若槻内閣の案を否決した枢密院の同意をただちに取り付けたうえで、1927年4月22日、「私法上の支払猶予及び手形等の不渡処分延期に関する緊急勅令」を公布した。これがモラトリアム(支払猶予令)である。
この法令により、同日から5月12日までの3週間(21日間)、500円以下の少額預金の引き出しや給与の支払いなどを除いて、預貯金の払い戻しをはじめとする一切の金銭債務の支払いが法的に猶予されることとなった。自由主義経済下において個人の財産権の行使を強制的に制限する未曾有の劇薬であったが、パニックの連鎖を断ち切るためには不可欠な措置であった。
非常措置の実施と「裏白紙幣」による事態の収束
政府はモラトリアムの発令と同時に、4月22日と23日の両日、全国の銀行を一斉休業させて事態の冷却化を図った。この休業期間および支払猶予期間の間に、政府と日本銀行は市中銀行へ大量の現金を供給し、支払準備を整える作戦に出た。
しかし、通常の紙幣印刷のペースでは急増する現金需要に到底間に合わなかった。そこで日本銀行は、急遽片面(裏面)が白紙のままの急造紙幣(いわゆる裏白紙幣・二百円券)を昼夜兼行で大量に印刷し、これを日銀の特別融資として全国の銀行に届けた。5月13日にモラトリアムが解除されると、銀行の窓口に山積みにされた真新しい札束を見た預金者たちは、銀行の支払能力が回復したと確信して安心し、取り付け騒ぎは急速に沈静化した。
歴史的意義と金融資本の独占進行
モラトリアムの断行と日本銀行による巨額の非常貸出により、昭和金融恐慌は劇的に収束した。しかし、この恐慌とその事後処理は、その後の日本経済の構造に決定的な変化をもたらすこととなった。
恐慌を通じて中小銀行の脆弱性が露呈した結果、預金者は経営基盤の弱い地方銀行や中小銀行から預金を引き出し、三井・三菱・住友・安田といった財閥系の大銀行へと資金を移し替えた(預金の集中)。さらに政府は1928年(昭和3年)に新銀行法を施行して銀行の最低資本金基準を厳格化し、中小銀行の合併・整理を強力に推進した。これにより、日本の金融界における財閥系大銀行の寡占支配(金融資本の独占)が一気に進行し、財閥を中心とする資本主義体制が強固なものへと変貌していく重要な歴史的転換点となったのである。