銀行法 (ぎんこうほう)
【概説】
1927(昭和2)年の金融恐慌を契機に制定された、我が国の銀行制度の根幹を定めた法律。銀行の最低資本金を大幅に引き上げることで経営体力の弱い中小銀行の整理・統廃合を促し、金融界の安定を図った。これにより、日本における金融資本の集中と財閥支配が一段と進むこととなった。
金融恐慌の勃発と法制定の背景
第一次世界大戦後の日本経済は、戦後恐慌や1923年の関東大震災による震災手形の累積などにより、慢性的な金融不安を抱えていた。特に中小銀行の中には、特定の政商や関連企業に対して放漫な過剰融資を行い、実質的に経営破綻に瀕しているものが少なくなかった。
このような状況下、1927年3月に衆議院予算委員会での片岡直温蔵相の失言(「東京渡辺銀行が破綻した」との発言)をきっかけに、預金者が銀行に殺到する金融恐慌が勃発した。各地の銀行が休業に追い込まれ、鈴木商店の破綻とそれに伴う台湾銀行の危機へと波及する中、金融秩序の抜本的な再建と銀行に対する社会的信用の回復が急務となった。これを受けて、若槻礼次郎内閣のもとで1927年3月に「銀行法」が制定され、翌1928年1月から施行された。
最低資本金規制と国家統制の強化
銀行法の最大の特徴は、銀行の設立・維持に関する基準を厳格化し、最低資本金を100万円以上(東京・大阪などの大都市に本店を置く場合は200万円以上)と定めた点にある。当時、国内に乱立していた中小銀行の多くは資本金数万〜数十万円規模の零細機関であり、この基準を満たすことは不可能であった。
法律には5年間の猶予期間が設けられたものの、基準に達しない銀行は増資を行うか、さもなくば他行と合併するか廃業するかの選択を迫られた。また、大蔵大臣による業務停止命令権や検査権の強化など、国家が銀行を強力に監督・統制する仕組みが整えられた。
銀行合同の進展と金融資本の集中
銀行法の施行に伴い、大蔵省は「一県一行」を目標とする銀行合同(合併)政策を強力に推進した。これにより、1927年末に約1400行存在した普通銀行は、1932年末には約500行にまで激減した。
この淘汰プロセスの中で、一般預金者は破綻リスクの低い大銀行へと資金を移動させた。その結果、三井・三菱・住友・安田・第一のいわゆる五大銀行に預金と融資が集中し、これら財閥系金融資本の市場支配力が飛躍的に強化された。銀行法は、日本の産業界が独占資本主義へと移行する決定的な契機となった制度的画期であったといえる。