五大銀行
【概説】
1927年の昭和金融恐慌を契機に、中小銀行が淘汰されるなかで預金を集中させ、日本の金融界を支配した5つの大銀行。具体的には三井銀行、三菱銀行、住友銀行、安田銀行、第一銀行を指し、これらへの資金集中は日本における独占金融資本の支配体制を確立させることとなった。
金融恐慌と「銀行法」による中小銀行の淘汰
第一次世界大戦後の日本経済は、戦後恐慌(1920年)や関東大震災に伴う震災恐慌(1923年)など、慢性的な不況と金融不安に悩まされていた。そうした中、1927年(昭和2年)3月に衆議院予算委員会における片岡直温大蔵大臣の失言をきっかけとして、金融界の信用不安が一気に噴出し、昭和金融恐慌が発生した。
全国で激しい取り付け騒ぎが起こり、渡辺銀行や十五銀行などの名門銀行が次々と休業に追い込まれた。この事態に対し、政府は3週間の支払猶予令(モラトリアム)を断行し、日本銀行による非常貸出を行うことで急場をしのいだ。しかし、この過程で体力の弱い中小銀行は預金者の信用を失い、次々と破綻・合併を余儀なくされていった。
さらに政府は、金融界の整理統合を進めるため、1927年に新たな銀行法(1928年施行)を制定した。この法律は、銀行の最低資本金を原則100万円(東京・大阪などの大都市は200万円)と規定し、基準を満たさない弱小銀行に対して合併や解散を事実上強制するものであった。政府が推進した「一県一行」を目標とする強硬な銀行整理政策も手伝い、大正末期に1400近く存在した銀行数は、1932年には約500にまで激減することとなった。
資金の極度な集中と財閥支配の強化
金融恐慌によって銀行の信用性が問われるなか、一般預金者や地方の地主・資本家たちは、より安全な預金先を求めて、政府系銀行や強大な財閥を背景に持つ大銀行へと一斉に資金を移動させた。その結果、預金が集中したのが、三井・三菱・住友・安田の四大財閥系銀行と、渋沢栄一ゆかりの第一銀行であった。これらを総称して「五大銀行」と呼ぶ。
五大銀行が全国の私立銀行の預金総額に占める割合は、恐慌前の1926年末時点では約2割程度であったが、1929年末には約3割、さらに1931年末には約4割にまで急上昇した。これにより、日本の金融市場は少数の巨大銀行によって寡占化され、国家資金に匹敵する莫大な金融資本がこれら5行に集中する構造が完成した。
この五大銀行への資金集中は、日本の独占資本主義の発展において決定的な意味を持った。集まった莫大な資金は、それぞれの系列財閥の持株会社や傘下の重化学工業部門へと優先的に融資され、産業界における財閥の支配力をより一層強固なものにした。また、この高度に集中した金融支配体制は、のちの1930年代後半から始まる日中戦争・太平洋戦争期の戦時統制経済において、国家による産業資金の統制・配分を容易にする基盤ともなった。