帝国経済会議(オタワ連邦会議)

1932年、カナダのオタワで開催され、イギリスとその自治領・植民地との間で排他的な「スターリング・ブロック」を形成することを決めた会議は何か?
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帝国経済会議(オタワ連邦会議)

1932年

【概説】
1932年にカナダのオタワで開催された、イギリス帝国(連邦)構成国による経済会議。世界恐慌への対策としてイギリス連邦内での特恵関税制度を導入することを決定し、排他的な経済圏であるブロック経済(スターリング・ブロック)を確立させた。

ブロック経済圏の形成とオタワ協定

1929年に発生した世界恐慌に対し、広大な植民地を持つ大国は、自国およびその支配地域を保護するための経済政策を模索した。その代表例が、1932年7月から8月にかけてカナダのオタワで開催された帝国経済会議である。この会議で結ばれた「オタワ協定」により、イギリス本国と自治領・植民地の間で相互に関税を優遇し合う特恵関税制度が導入された。これにより、連邦外部からの輸入品に対しては高関税を課して締め出す排他的な経済圏、すなわち「スターリング・ブロック(帝国特恵関税制度)」が完成し、世界貿易の分断が加速した。

日本経済への打撃と「持たざる国」の対外進出

このブロック経済圏の確立は、イギリスのような広大な海外領土を持たない「持たざる国」である日本に甚大な打撃を与えた。当時、日本は昭和恐慌からの脱却を目指し、金輸出再禁止にともなう円安を武器に、綿製品などをアジアやアフリカのイギリス領市場へ猛烈に輸出していた。しかし、オタワ協定による高関税障壁によってこれらの市場から締め出されることとなった。市場を失った日本は、自立的な経済圏の確保を迫られ、満州事変後の満州進出、さらには「日満支円ブロック」の形成へと傾斜していく。このように、帝国経済会議による世界経済のブロック化は、日本が軍事力を背景に勢力圏を拡大する重要な要因となり、第二次世界大戦へとつながる国際対立を決定づけた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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