特恵関税 (とっけいかんぜい)
1932年~
【概説】
ブロック経済圏内において、特定の植民地や自治領、同盟国などとの間の貿易に限り、関税を特別に引き下げたり免除したりする優遇制度。1929年の世界恐慌後、イギリスなどの欧米列強が自国を中心とする閉鎖的な市場を形成するために用いた。この排他的な経済政策は、日本をはじめとする「持たざる国」を窮地に追い込み、第二次世界大戦の一因となった。
世界恐慌と帝国特恵関税制度
1929年に発生した世界恐慌に対し、広大な植民地や自治領を持つイギリスは、1932年にカナダのオタワで連邦経済会議を開催した。ここで合意されたオタワ協定に基づき、イギリス帝国全体を一つの経済圏(スターリング・ブロック)とし、圏内の貿易には特恵関税を適用して低関税や無関税とする一方、圏外からの輸入品には高関税を課して締め出す政策をとった。同様にフランスやアメリカも独自のブロック経済を形成し、世界市場は分断されることとなった。
日本経済への打撃と「円ブロック」への傾斜
当時、産業の近代化を進め、輸出の拡大を必要としていた日本は、英仏などの特恵関税制度によって主要な海外市場から締め出された。これにより日本経済は深刻な打撃を受け、自前の経済圏を確保する必要に迫られた。日本は満洲事変を経て、日本・満洲国・中国(のちに占領した地域)を結ぶ「円ブロック」(日満華経済ブロック)の形成を進め、独自に資源と市場を囲い込もうとした。この経済的対立が、やがて「東亜新秩序」や「大東亜共栄圏」の標榜へとつながり、日本が太平洋戦争へと突入する契機となった。