五重塔 (ごじゅうのとう)
【概説】
釈迦の遺骨(仏舎利)を奉安するために建てられた、五層の屋根を持つ木造の仏塔。古代インドのストゥーパを起源とし、飛鳥時代以降の日本の寺院伽藍において、信仰の中心として重要な役割を担った宗教建築。
仏舎利信仰とストゥーパの変遷
五重塔の起源は、古代インドにおいて釈迦の遺骨(仏舎利)を埋葬したドーム状の墓座であるストゥーパ(卒塔婆)に遡る。仏教の東漸に伴って中国に伝わると、中国伝統の高層楼閣建築の技術と融合し、木造の多重塔へと姿を変えた。日本には6世紀の仏教伝来とともにこの建築様式が伝わり、寺院の本尊を祀る「金堂」と並ぶ、あるいはそれ以上の重要な信仰対象として建立されるようになった。
五重塔の内部中央には、塔を貫く一本の丸太である心柱(しんばしら)が据えられており、その最下部(塔底)の心礎には、釈迦の遺骨に見立てた「仏舎利」を納める舎利容器が厳重に安置された。つまり五重塔は、単なるランドマークとしての高層建築ではなく、釈迦の墓碑であり、仏教寺院における聖域そのものであった。
法隆寺五重塔に見る飛鳥・奈良時代の技術と美術
日本に現存する最古の五重塔は、世界最古の木造建築群として世界遺産に登録されている斑鳩の法隆寺五重塔である。飛鳥時代の建築様式を今に伝えるこの塔は、上の層にいくにつれて屋根の出幅が急激に小さくなる「逓減率(ていげんりつ)」が非常に高い。これにより、視覚的に極めて安定した美しいプロポーションが生み出されている。
また、法隆寺五重塔の初層(一階部分)の内部には、粘土を用いた彫刻である塑像(そぞう)(法隆寺五重塔初層塑像群)が配置されている。東面・西面・南面・北面の四方に、釈迦の入滅(臨終)の場面や、その遺骨を分配する場面などが立体的なジオラマのように表されており、文字を読めない当時の人々に対して、視覚的に仏教の教えを伝える重要な役割を果たしていた。
地震大国日本が誇る「柔構造」と現代への継承
日本の五重塔は、古来から数々の大地震に見舞われながらも、倒壊したという記録がほとんど残っていない。この驚異的な耐震性の秘密は、各層の木材が完全に固定されておらず、揺れに対してそれぞれが別々の方向に互い違いに動くことで、揺れを吸収・相殺する構造にある。
さらに、中央を貫く「心柱」が、周囲の木造フレームと緊結されずに独立して立っている(または上部から吊り下げられている)ことで、全体の揺れを抑える「重り(振子)」の役割を果たしている。この古代の知恵である「柔構造」や「心柱」の原理は、現代の超高層建築にも応用されており、例えば日本を代表する電波塔である東京スカイツリーの制振システム(心柱工法)にも取り入れられている。