執政 (しっせい)
1932〜1934年
【概説】
1932年の満州国建国に際し、国家元首として清朝最後の皇帝である溥儀が就任した役職。関東軍の主導により、君主制への移行を前提とした暫定的な国家首脳の地位として創設された。
満州国建国と「執政」擁立の背景
1931年の満州事変勃発後、現地を軍事占領した日本の関東軍は、国際社会からの非難を回避しつつ日本の権益を確保するため、満州地域を中国本土から分離した独立国家「満州国」の建国を画策した。その新国家の首班として担ぎ出されたのが、1912年の辛亥革命によって退位した清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀であった。
溥儀自身は清朝の再興(復辟)を目指し、当初から「皇帝」としての即位を強く望んでいた。しかし、急激な帝政復活は中国世論や国際連盟のさらなる反発を招く恐れがあったため、関東軍は懐柔策および妥協案として、共和制と君主制の中間的な位置づけとなる暫定的な元首の役職「執政」を用意し、溥儀をこれに就任させた。
執政の権限と傀儡化の実態
満州国組織法において、執政は「国家を代表し、統治権を総攬する」と規定され、法律の公布や軍の統帥権、官吏の任免権など形式上は大きな権限を付与されていた。しかし、実際には満州国の実権は関東軍司令官や、政府の実務を握る総務庁長官をはじめとする日系官僚が掌握しており、執政としての溥儀の意向が国政に反映される余地は極めて少なかった。
この暫定的な「執政」体制は2年間続き、満州国の統治基盤が安定し、日本が国際連盟を脱退(1933年)して独自の満州支配を強めると、1934年3月に満州国は帝政へと移行した。これにより溥儀は「皇帝(康徳帝)」に即位し、これに伴い暫定的な役職であった「執政」は廃止された。執政期は、満州国が国際社会の目を意識しつつ、実質的には日本の完全な傀儡国家へと移行していく過渡期的な制度であったといえる。