日本国家社会党 (にほんこっかしゃかいとう)
1932年
【概説】
1932年(昭和7年)に、社会民衆党から分離した赤松克麿らが結成した国家社会主義政党。満州事変後の国家主義的狂熱を背景に、左派の無産政党運動が右傾化・転向していく過程を象徴する政党である。
無産政党の右傾化と結党の背景
1929年の世界恐慌に端を発する昭和恐慌と、1931年(昭和6年)の満州事変の勃発は、日本の社会運動に大きな転換をもたらした。それまで資本主義の打倒や労働者の権利擁護を訴え、地道な議会政治活動を行っていた無産政党(社会主義政党)の内部でも、急激なナショナリズムの高揚が進むこととなった。こうした中、社会民衆党の書記長であった赤松克麿らは、既存の議会政治や資本主義体制を否定し、軍部主導の国家革新に期待を寄せる「国家社会主義」へと傾斜した。赤松らは同党の主流派と対立して離党し、1932年5月に日本国家社会党を結成した。
国家社会主義の思想的特徴と歴史的意義
日本国家社会党は、天皇親政のもとで資本主義を打破し、主要産業の国有化や富の分配を行うという、反資本主義と天皇崇拝(国体論)を融合させた独自の主張を展開した。これは、当時ドイツで急速に勢力を拡大していたナチズム(国民社会主義)とも軌を一にする、日本独自のファシズム運動の現れであった。同党の活動自体は、その後の右翼陣営の合流や分裂の渦中で短命に終わったものの、大正デモクラシー期に育まれた無産運動が、昭和戦前期の軍国主義・革新右翼思想へと回収・変質していく「転向」の先駆的事例として、日本近現代史において極めて重要な意味を持っている。