隆達節(高三隆達) (りゅうたつぶし / たかさぶりゅうたつ)
【概説】
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、全国的な大流行を記録した新興の歌謡。和泉国堺の豪商である高三隆達が、室町時代以来の小歌に独特の節回しを付けて創始した。日本の近世歌謡における先駆的な存在であり、後の三味線音楽や演劇の発展にも多大な影響を与えた。
高三隆達の出自と隆達節の誕生
隆達節の創始者である高三隆達は、自由都市として繁栄した堺の薬種商(一説には日蓮宗の僧侶ともいわれる)であった。彼は音楽的才能に優れ、当時広く歌われていた室町小歌(『閑吟集』などにみられる中世歌謡)の歌詞や、自作の短歌・俳諧歌などに、哀調を帯びた独特のテンポや節(メロディ)を付けて歌い始めた。
この隆達の歌う小歌は、当時の戦乱から解放されつつあった民衆の心を捉え、文禄・慶長年間(1592〜1615年)を中心に爆発的なブームを巻き起こした。隆達が歌った歌謡の歌詞は『隆達節歌謡』『隆達小歌集』などの歌本として出版され、楽譜の役割を果たす文字も添えられて広く普及した。これは日本における世俗音楽の楽譜出版の早い例でもある。
扇拍子による演奏と庶民の哀歓
隆達節の最大の特徴は、三味線が本格的に普及する前の過渡期の音楽であるという点にある。基本的には伴奏楽器を用いず、手のひらや扇で拍子をとる扇拍子(おうぎびょうし)のみ、あるいは笛などを交えたごくシンプルな演奏形態で歌われた。それゆえに特別な楽器を必要とせず、誰もが口ずさめる手軽さがあったことが、流行を後押しした。
歌詞の内容は、男女の恋愛の機微や、浮世の無常、旅の情景など、等身大の人間感情を豊かに、かつ平易な言葉で表現したものが多かった。この人間味あふれる叙情性が、豊臣政権下の安定によって台頭してきた京都や大坂、堺などの新興町衆(都市庶民)の感性と見事に合致したのである。
近世歌謡・芸能への広範な影響
隆達節の流行は、単なる一過性のブームにとどまらず、同時期に誕生した新たな芸能と深く結びついた。特に、出雲の阿国が始めたとされる初期のかぶき踊り(阿国歌舞伎)や、流行の「女歌舞伎」において、舞台の伴奏音楽や劇中歌として隆達節が盛んに取り入れられた。これにより、隆達節は都市部から地方へ、さらには遊里(花街)へと瞬く間に全国へ伝播していった。
その後、17世紀を通じて三味線が急速に普及すると、隆達節の歌謡は三味線伴奏を伴う「地歌」や初期の「浄瑠璃」などの新興音楽に吸収・統合されていく。隆達節は、中世の「歌う歌謡」から、近世の「楽器と融合した歌謡」へと移行する歴史的転換点に位置する、極めて重要な音楽ジャンルであったといえる。