全権委任法 (ぜんけんいにんほう)
1933年
【概説】
1933年にドイツのヒトラー内閣のもとで制定され、議会の立法権を政府に移譲することでナチスの一党独裁体制を合法化した法律。ワイマール憲法を実質的に死文化させ、全体主義国家の構築を加速させた。日本の昭和戦前期におけるファシズム運動や、戦時統制法制の整備にも多大な思想的・法制的影響を与えた。
ワイマール民主主義の死滅とナチス独裁の完成
1933年1月にドイツ首相に就任したアドルフ・ヒトラーは、同2月の国会議事堂放火事件を機に基本的人権を制限する大統領緊急令を発令し、共産党などの左翼勢力を激しく弾圧した。その直後の3月、臨時議会において「民族および国家の危難を除去するための法律」、通称全権委任法が可決された。この法律は、憲法改正に準ずる手続きを要しながらも、カトリック中央党の懐柔や共産党員の議席剥奪などの強硬手段によって成立した。政府に広範な立法権を認め、憲法違反の法律すらも制定可能としたことで、ドイツの民主主義体制(ワイマール体制)は完全に崩壊し、ヒトラーによる独裁が法的根拠を得る形で確立した。
戦時統制を急ぐ昭和日本への波及と影響
全権委任法の成立とその後のナチスによる急速な国家統制の成功は、世界恐慌後の政治混乱にあえぐ昭和初期の日本に極めて大きな衝撃を与えた。とりわけ、軍部や革新官僚らは、議会手続きをバイパスして国力を総動員するナチス的手法に着目した。これが具現化したものが、1938年(昭和13年)の近衛文麿内閣期に制定された国家総動員法である。同法は、議会の協賛(審議)なしに勅令によって国民や物資を徴用できる権限を政府に委ねており、実質的に日本の「全権委任法」としての役割を果たした。このように、ドイツにおける独裁の合法化プロセスは、日本の軍国主義化や大政翼賛会へと向かう新体制運動を強く方向づけることとなった。