内田信也

「暗くて靴が探せないなら100円札に火をつけて明かりにしよう」という有名な風刺画のモデルとも言われる、船成金の代表的な実業家は誰か?
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内田信也(Wikipedia)

内田信也 (うちだのぶや)

1880年〜1971年

【概説】
第一次世界大戦期の大戦景気を背景に、海運業で急成長を遂げた船成金の代表格。内田汽船を率いて巨万の富を築いたのち、政界へ転身して鉄道大臣などの要職を歴任した実業家・政治家。

第一次世界大戦と「船成金」の台頭

1914年に勃発した第一次世界大戦は、日本経済に空前の「大戦景気(大正バブル)」をもたらした。特に世界的な船舶不足に伴う運賃・船価の高騰は、海運・造船業界に爆発的な好況を呼び込み、世に言う「船成金」を多数輩出することとなった。三井物産船舶部を退職して独立した内田信也は、1915年に内田汽船を設立。わずかな手元資金から傭船(船のレンタル)や船舶売買を巧みに展開し、瞬く間に巨万の富を築き上げた。彼は山下亀三郎や勝田銀次郎とともに「三大船成金」と称され、大正期の成金文化を象徴する存在となった。

政界への転身と戦前・戦後の軌跡

内田の先見の明は、大戦終結にともなう戦後恐慌(1920年)の直前に、所有船舶を売却して現金化し、大打撃を回避した点に現れている。実業界で確固たる地位を築いた内田は、その後政界へと進出した。1924年の衆議院議員総選挙に初当選して以降、立憲政友会に所属し、斎藤実内閣や岡田啓介内閣で鉄道大臣を務めたほか、戦時下の近衛文麿内閣や東条英機内閣では農林大臣などを歴任した。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)により公職追放処分を受けたが、追放解除後は実業界に復帰し、明治海運会長などを務めて日本の海運業の再建に尽力した。

海運王 山下亀三郎 (産経NF文庫)

日本海運の黎明期を支えた山下亀三郎の豪胆な生涯を追い、逆境を乗り越えるための不屈の精神と商才を学べる一冊。

大正デモクラシー: シリーズ 日本近現代史 4 (岩波新書 新赤版 1045 シリーズ日本近現代史 4)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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