東京放送局(JOAK) (とうきょうほうそうきょく)
【概説】
1925(大正14)年に日本で初めてラジオの仮放送を開始した、現在のNHK(日本放送協会)の前身にあたる社団法人。関東大震災後の情報伝達の必要性から設立され、日本における大衆メディア時代の幕開けを告げる役割を果たした存在。
関東大震災とラジオ放送の黎明
大正時代中期、欧米諸国でラジオ放送が普及し始めるなか、日本でも民間による無線電話事業の立ち上げが模索されていた。その機運を決定づけたのが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災である。震災によって新聞などの既存メディアが壊滅し、デマや流言飛語が飛び交って社会が混乱したことから、正確かつ迅速な避難情報やニュースを伝えるための通信手段として、ラジオの必要性が強く認識された。
これを受けて逓信省(ていしんしょう)の指導のもと、営利を目的としない公益法人としての放送局設立が進められ、1924(大正13)年11月に社団法人東京放送局が設立された。総裁には、関東大震災後の帝都復興院総裁を務めた後藤新平が就任し、放送の公共性と政治的中立性を重視する姿勢が示された。
愛宕山からの本放送と「JOAK」
東京放送局は、1925(大正14)年3月22日、東京・芝浦の仮送信所から「JOAK」のコールサインを用いて日本初のラジオ仮放送(試験送信)を開始した。この3月22日は、現在も「放送記念日」に制定されている。次いで同年7月には、東京・芝の愛宕山(あたごやま)に本放送所が完成し、高出力による本放送が開始された。
放送内容は、ニュース、気象通報、時間報告、市場価格などの生活情報のほか、音楽、演芸、児童向けの訓話など多岐にわたった。受信機(主に鉱石ラジオ)や聴取契約は当初こそ特権的なものであったが、大正デモクラシー期の都市中間層を中心に急速に普及し、人々のライフスタイルや大衆文化のあり方を大きく変容させていった。
日本放送協会(NHK)への統合とメディアの発展
東京放送局の成功と同時期に、大阪(JOBK)および名古屋(JOCK)でも社団法人による放送局が設立され、それぞれの地域で放送が開始された。しかし、国家による情報統制と全国的な放送網の均一化を目指す逓信省の方針により、1926(大正15)年8月、これら3つの放送局は解散・統合されることとなった。これにより、全国一元的な組織である社団法人日本放送協会(現在のNHK)が誕生した。
東京放送局に始まる日本のラジオ放送は、新聞と並ぶ強力なマスメディアとして定着し、全国に同一の情報や流行をリアルタイムで届ける「国民文化」の形成に寄与した。その一方で、国家による一元管理の仕組みが整えられたことは、昭和戦前期から太平洋戦争期にかけて、ラジオが国策遂行や戦意高揚のための宣伝(プロパガンダ)手段として利用される歴史へとつながっていった。