ラジオ放送の開始
【概説】
1925年(大正14年)、東京放送局(現在のNHK)によって東京・芝浦から日本初のラジオ放送(仮放送)が開始された出来事。音声を用いた画期的な情報伝達手段の登場であり、大正デモクラシー期における大衆文化の発展と全国的な普及に決定的な役割を果たした。
放送開始への道程と時代背景
1920年にアメリカで世界初となるラジオの商業放送が開始されると、日本でも無線通信技術への関心が高まった。日本におけるラジオ放送の実現を大きく後押しした契機の一つが、1923年(大正12年)の関東大震災である。未曾有の災害により電話や電報といった有線の通信網が寸断され、流言蜚語が飛び交う大混乱が生じた。この痛ましい経験から、災害時にも一斉かつ迅速に正確な情報を伝達できる新たなメディアとして、無線通信を用いたラジオ放送の早期実現が国家的な急務として認識されたのである。
仮放送の実施と日本放送協会の設立
1924年(大正13年)、逓信省はラジオ放送の強い影響力と公益性に鑑み、営利事業ではなく公益法人による事業として許可する方針を固めた。そして1925年(大正14年)3月22日、東京・芝浦の東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)内に設けられた仮送信所から、社団法人東京放送局(コールサイン:JOAK)による日本初のラジオ仮放送が開始された。同年7月には愛宕山から本放送が開始され、続いて大阪(JOBK)、名古屋(JOCK)でも相次いで放送が始まった。翌1926年(大正15年)にはこれら3局が統合されて日本放送協会が設立され、全国的な放送網の整備が強力に推し進められていった。
ラジオがもたらした大衆文化の成熟
ラジオ放送の登場は、大正デモクラシーを背景とした大衆文化の形成と普及に決定的な役割を果たした。新聞や雑誌といった活字メディアとは異なり、文字の読めない層にも音声を通じて直接情報を届けることができたため、情報格差の是正に大きく貢献した。さらに、ニュースや天気予報といった実用情報だけでなく、音楽、演芸(落語や浪曲)、ラジオドラマ、さらには1927年(昭和2年)から始まる全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)の実況中継など、多種多様な娯楽番組が提供された。これにより、人々は自宅にいながらリアルタイムで同じ体験を共有できるようになり、国民的な一体感と均質化された「大衆」が形成されていく基盤となった。
国家によるメディア統制とプロパガンダ機関への変容
一方で、ラジオという強力なマス・メディアの誕生は、時の政府にとって国民の世論を誘導・統制するための絶好の手段でもあった。当初から放送内容は逓信省の厳格な検閲の下に置かれており、自由な報道には一定の制限が課せられていた。1930年代に入り、満州事変(1931年)から日中戦争、そして太平洋戦争へと至る戦時体制のなかで、ラジオは国家総動員体制の一翼を担うようになる。娯楽番組は次第に縮小され、軍部の戦果発表(大本営発表)や国威発揚のための番組が放送の主体となり、国民を戦争へ動員するための強力なプロパガンダ機関として機能していくことになったのである。