奢侈品等製造販売制限規則 (しゃしひんとうせいぞうはんばいせいげんきそく)
【概説】
日中戦争の長期化に伴い、1940(昭和15)年に制定された、軍需資材の確保と国民生活の緊縮を目的とする経済統制令。貴金属や高級衣料などの贅沢品(奢侈品)の製造および販売を全面的に禁止したもの。一般に「七・七禁令」(しちはちきんれい)の名で知られ、戦時下の物資統制と精神統制を象徴する記念碑的な法令である。
日中戦争の長期化と「七・七禁令」の背景
1937(昭和12)年に勃発した日中戦争は泥沼化し、日本政府は長期戦に対応するための総力戦体制の構築に迫られた。1938年には国家総動員法が制定され、経済・産業のあらゆる分野において国家が強力な統制権を握ることとなった。
しかし、戦争の長期化は深刻な物資不足とインフレーションを招き、軍需生産に必要な原材料や外貨の確保が最優先課題となった。こうした中で、国民の消費を極限まで抑え込み、余剰資金を国債消化に回すとともに、金やプラチナ、繊維などの重要物資を軍事用に転用するため、1940年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」が公布・即日施行された。この日付にちなみ、本規則は一般に「七・七禁令」と呼ばれる。
厳格な規制内容と「贅沢は敵だ!」のスローガン
本規則による規制は極めて厳格であり、金、銀、白金、ダイヤモンドなどを用いた宝飾品をはじめ、高級な絹織物(高級な着物や帯)、漆器、高級家具、玩具に至るまで、指定された広範な品目の製造と販売が全面的に禁止された。施行日以降、これらの商品を新たに製造することはできなくなり、手持ちの在庫分についても3ヶ月の猶予期間(のちに10月11日まで延長)を過ぎた後の販売が禁じられた。
この経済的な締め付けは、国民の精神的な引き締め(精神統制)とも密接に連動していた。国民精神総動員運動の一環として、街頭には「贅沢は敵だ!」や「欲しがりません勝つまでは」といった標語が掲げられ、華美な服装や化粧は反社会的な行為として非難の対象となった。女性のモンペ着用が推奨されるなど、国民生活の「一億総戦力化」が急速に進む契機となった。
闇取引の横行と統制経済の進展
奢侈品等製造販売制限規則の施行は、表向きの市場から高級品を一掃させたものの、一方で買いだめや闇取引(いわゆる闇市や「闇ルート」)の温床ともなった。価格や流通の統制が強化されるにつれ、正規のルートで物資が手に入らなくなった人々は、非公式なルートに頼らざるを得なくなったのである。
政府はその後、衣料品の切符制(配給制)の導入や、閣議決定による「新体制」の構築を進め、経済活動の全般にわたって統制をより先鋭化させていった。本規則は、自由主義的な市場経済が完全に否定され、国民一人ひとりの日常生活までが軍事目的のために国家によって管理される「戦時統制経済」への過渡期を示す重要な出来事であったと言える。