日本放送協会(NHK)
【概説】
1926(大正15)年、東京・大阪・名古屋の3つの放送局が統合されて誕生した、全国一元的なラジオ放送ネットワークを担う社団法人。政府(逓信省)の強い主導のもとで設立され、昭和期の大衆文化の発展や国民意識の均質化に多大な役割を果たした。戦時中は国家の強力な情報統制下に置かれたが、戦後は放送法に基づく公共放送(特殊法人)へと改組され、現在の体制へと至っている。
ラジオ放送の開始と三局統合の背景
日本のラジオ放送は、1925(大正14)年に東京放送局(JOAK)、続いて大阪放送局(JOBK)、名古屋放送局(JOCK)が相次いで仮放送を開始したことに端を発する。当初、これら3局はそれぞれ独立した公益法人として設立されたが、当時の放送事業を所管していた逓信省は、地方ごとに放送局が乱立することによる電波の混信や、経営基盤の脆弱化を危惧していた。
また、メディアとしてのラジオが持つ圧倒的な情報伝達力に着目した政府は、国家による放送の監督・統制を容易にするため、全国的な一元化を強く推し進めた。その結果、東京放送局の初代総裁であった後藤新平らの尽力もあり、翌1926(大正15)年8月、これら3局が統合される形で社団法人日本放送協会(NHK)が設立されたのである。
マスメディアとしての成長と大衆文化への寄与
設立後、日本放送協会は全国各地に中央放送局を整備し、全国中継網の構築を急ピッチで進めた。1920年代後半から1930年代にかけての日本は、都市部を中心とする大衆消費社会の成熟期(いわゆる昭和モダン期)にあたり、ラジオは急速に各家庭へと普及していった。
放送内容はニュースや天気予報、経済市況にとどまらず、落語や浪曲、音楽番組、さらには東京六大学野球や中等学校野球(現在の高校野球)の実況中継など、多岐にわたる娯楽を提供した。ラジオを通じて標準語が全国津々浦々に普及したことは、近代日本における「国民意識の均質化」という観点から非常に重要な歴史的意義を持っている。
戦時下の国家統制とプロパガンダ機関化
1931(昭和6)年の満州事変以降、軍部が台頭し十五年戦争の時代に突入すると、ラジオ放送の役割は大きく変容していく。政府や軍部は、国民を動員するための強力な宣伝(プロパガンダ)ツールとして日本放送協会を重用し、その統制を強めていった。
1936(昭和11)年の二・二六事件において反乱軍への投降を呼びかけた「兵に告ぐ」の放送をはじめ、1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦を告げる臨時ニュース、戦況を報じる「大本営発表」など、NHKは国家総動員体制下における情報の独占的発信源となった。そして1945(昭和20)年8月15日、昭和天皇の肉声による玉音放送(終戦の詔書)を全国に中継したことで、戦前・戦中の国家機関としての役割にひとつの終止符が打たれた。
戦後の民主化と公共放送への改組
敗戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、放送分野の徹底的な民主化を指示した。政府の完全な支配下にあった戦前の反省を踏まえ、放送の不偏不党と表現の自由を担保するための法的整備が進められた。
これをうけて1950(昭和25)年に電波法および放送法(電波三法)が施行されると、日本放送協会はそれまでの社団法人から、受信料を財源とする独立した特殊法人(公共放送)としての「日本放送協会」に改組された。同時に民間放送(民放)の設立も認可されたことで、NHKと民放による二元体制が確立した。その後、1953(昭和28)年にはテレビジョン放送を開始し、日本社会における最大の巨大メディアとして現代に至っている。