人道主義・新理想主義 (じんどうしゅぎ・しんりそうしゅぎ)
【概説】
自然主義文学の客観的で暗い作風や決定論的な人間観に反発し、人間の強い意志や個性、生命の尊さを肯定して理想を追求しようとした思想的立場。大正時代に登場した「白樺派」の文学者たちによって提唱・実践され、大正デモクラシー期の知識人や若者たちに大きな影響を与えた。
自然主義への反発と「白樺派」の結成
明治末期から大正初期にかけての日本の文壇では、現実をありのままに描き出す自然主義が主流であった。しかし、それは往々にして人間の暗部や妥協、あるいは遺伝や環境という抗えない運命を冷徹に描写する傾向が強く、全体として悲観的で沈鬱な雰囲気が支配的であった。
こうした風潮に強く反発し、人間の生命力や意志の力を肯定しようとしたのが、1910(明治43)年に雑誌『白樺』を創刊した白樺派の青年たちであった。学習院出身の特権的な階級層(華族や富裕層)に属する武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴、柳宗悦らは、自己の個性を尊重し、他者の個性をも愛する人道主義(ヒューマニズム)を掲げ、人間の内なる善意や美を追求する新理想主義を標榜した。
個性の肯定と「新しき村」のユートピア的実践
人道主義・新理想主義の最大の特徴は、徹底した「自我の肯定」と「個性の伸長」にある。白樺派の人々は、自らの個性を十全に発揮することこそが人類全体への貢献につながると考え、道徳や古い因習に縛られない自由な生き方を肯定した。また、彼らは西欧の世紀末芸術や印象派、特にロダンやゴッホ、トルストイといった芸術家・思想家から強い影響を受け、人間の精神の崇高さを信じた。
この思想は単なる文学運動にとどまらず、社会的な実践運動へと結びついた。1918(大正7)年、武者小路実篤は宮崎県に共同体「新しき村」を建設した。これは、階級対立のない協同生活を通じて、農業労働と芸術活動を一致させようとしたものであり、彼らの新理想主義を現実の社会に具現化しようとするユートピア的な試みであった。
大正デモクラシーとの連動と歴史的意義
人道主義・新理想主義の広がりは、同時代の政治・社会思潮である大正デモクラシーの潮流と深く共鳴していた。日露戦争後の国家主義への懐疑から、国家中心主義から個人主義へと価値観が移行する中で、白樺派が説く個人の尊厳は、当時の教養ある若者やインテリ層に熱狂的に受け入れられた。彼らのオプティミスティック(楽観主義的)な人間観は、「大正教養主義」と呼ばれる精神的風土の基盤を形成した。
一方で、彼らの思想は恵まれた階級的境遇(ブルジョワジー)に依存した「おめでたき思想」であり、社会の構造的貧困や労働者階級の現実から目を背けているという批判も、昭和初期のプロレタリア文学の台頭とともに強まることとなった。しかし、明治の国家主義的束縛から個人を解放し、人間性の尊厳を近代日本において初めて前面に押し出したという点で、その歴史的意義は極めて大きい。