日本社会主義同盟

1920年、冬の時代を経て社会主義者やアナーキストが大同団結して結成したものの、翌年に政府によって禁止された団体は何か?
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重要度
★★

日本社会主義同盟

1920〜1921年

【概説】
1920(大正9)年に結成された、日本最初の社会主義者による全国的な大同団結組織。堺利彦や山川均、大杉栄らが中心となり、思想的立場を超えて結成されたが、政府の激しい弾圧により翌年結社禁止処分を受けた。

冬の時代からの脱却と「大同団結」の模索

1910(明治43)年の大逆事件以降、日本の社会主義運動は「冬の時代」と呼ばれる厳しい弾圧期を迎えていた。しかし、第一次世界大戦の終結前後から、急激なインフレーションに伴う米騒動(1918年)や労働運動の高揚、さらにはロシア革命(1917年)の成功などの国内外の情勢変化に刺激され、再び運動が活発化し始めた。

このような状況下で、細分化していた運動勢力を結集し、強力な全国組織を形成しようとする機運が高まった。これが「大同団結」の動きである。1920(大正9)年8月、堺利彦山川均、荒畑寒村らのマルクス主義者(のちのボルシェヴィキ派)と、大杉栄を中心とする無政府主義者(アナーキスト)らが思想的相違を乗り越え、共同で運動を展開するための準備を進めた。

同盟の結成と国家権力による弾圧

1920年12月、日本社会主義同盟の結成大会が東京で開かれた。この組織は単一の政党ではなく、社会主義思想を普及・研究するための連合体としての性格を強く持っていた。参加者は労働者や学生、知識人など多岐にわたり、会員数はまたたく間に約1000人に達し、地方にも支部が設置されるなど、大正デモクラシー期における左翼運動の象徴的な存在となった。

しかし、この急速な組織化を警戒した原敬内閣および警察当局は、治安警察法を適用して結成大会の解散を命じるなど、当初から徹底的な妨害を加えた。翌1921(大正10)年5月、第2回総会の開催を前に、政府は治安警察法第8条(治安を妨げる結社の禁止)に基づき、同盟に対して結社禁止処分を下した。これにより、同盟は結成からわずか半年余りで崩壊を余儀なくされた。

運動の分裂と「アナ・ボル論争」への発展

日本社会主義同盟の解散は、その後の日本の社会運動史において大きな転換点となった。統一組織という共通のプラットフォームを失ったことで、それまで抑えられていたマルクス主義派と無政府主義派の理念や戦術をめぐる対立が表面化したのである。

この対立は「アナ・ボル論争」と呼ばれ、労働組合の指導権などをめぐって激しい論争が展開された。結果として社会主義運動は分裂し、マルクス主義派は1922(大正11)年の日本共産党(第一次共産党)の結成へと向かい、無政府主義派は独自の直接行動路線へと進むこととなった。日本社会主義同盟は、短い活動期間でありながら、大正期における社会主義運動のピークと、その後の分化を導いた極めて重要な結節点であったといえる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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