あめりか物語 (あめりかものがたり)
【概説】
明治末期の1908(明治41)年に刊行された、永井荷風の短編集。著者自身のアメリカ留学および滞在時の実体験をもとに、異国の都市風景や現地の人々の哀歓を、哀愁を帯びたモダンな筆致で描いた初期の代表作。
若き日の永井荷風とアメリカ体験
明治を代表する文豪である永井荷風(本名・壮吉)は、実業を学ばせようとする厳格な父親の意向を受け、1903(明治36)年に渡米した。タコマ、シカゴ、ニューヨークなどの都市を巡り、外資系銀行に勤務するなどして生計を立てたが、荷風が熱中したのは本来の目的であった実業ではなく、西洋の音楽や演劇、フランス文学といった芸術の世界であった。本作『あめりか物語』は、この約4年間にわたる滞在中に得た見聞や、現地で出会った異邦人たちの孤独、そして近代都市の喧騒と哀愁を14編の短編・随筆に昇華させたものである。当時、急速な発展を遂げていた巨大な資本主義国家アメリカの「光と影」が、荷風独特の繊細な感性と鋭い観察眼を通してロマンチックに描き出されている。
明治末期の文学潮流と「反自然主義」の先駆
本作が刊行された明治末期、日本の文壇では島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』に代表される自然主義文学が全盛期を迎えていた。現実の醜さや自己の暗部を客観的・告白的に描写する自然主義に対し、荷風の『あめりか物語』は、美的な抒情性や異国情緒を前面に押し出した極めて主観的な美意識に貫かれており、閉塞感の漂っていた文壇に新鮮な衝撃を与えた。本作の成功により、荷風は帰国後に慶應義塾大学教授に就任し、文芸誌『三田文学』を主宰。森鴎外らの支持も得ながら、のちに谷崎潤一郎へとつながる耽美派(反自然主義)の急先鋒として確固たる地位を築くことになる。また、本作に続いて執筆された『ふらんす物語』(1909年)は、官能的な描写や冷徹な日本批判が含まれていたことから当時の政府によって発売禁止処分を受けており、国家主義的な道徳観を強める当時の明治社会と荷風との葛藤の始まりを示す作品でもあった。