あらたま

高校日本史的重要度
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あらたま

1921年

【概説】
大正10(1921)年に刊行された、歌人・斎藤茂吉の第二歌集。処女歌集『赤光』に続いて発表され、万葉調の写実主義(写生)をさらに深化させた作品群を収録している。大正期のアララギ派短歌における最高峰、かつ一つの到達点として日本近代文学史上に位置づけられる作品である。

『赤光』からの深化と「実相観入」の追究

『あらたま』は、斎藤茂吉が1913(大正2)年に発表して歌壇に大きな衝撃を与えた『赤光』に続き、大正2年から大正7年までの作を収録して1921(大正10)年に刊行された。本作の特徴は、師である正岡子規や伊藤左千夫らが提唱した「写生」の説を茂吉なりに推し進め、対象に自己の生命を投影する「実相観入」の境地へと達した点にある。『赤光』で見られた主観的・動的な感情の表出から、より静的に対象を見つめ、自然や日常の奥底にある本質を写し取る象徴的な作風へと移行した。

アララギ派の確立と近代短歌史における意義

大正期における『あらたま』の刊行は、短歌結社「アララギ」の黄金期を象徴する出来事であった。茂吉は『あらたま』において『万葉集』の格調高い調べ(万葉調)を現代の感覚と融合させ、独自の写生道を確立した。同時代の大正デモクラシー期における個性尊重や自己探求の潮流とも連動し、本作は多くの知識人や若者に受容された。これにより、「アララギ」は近代短歌界における主流派としての地位を不動のものとし、その後の昭和の短歌界にも決定的な影響を与えることとなった。

最終更新:
2026年6月16日 @ 07:40

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