土方与志 (ひじかたよし)
【概説】
大正から昭和期にかけて活躍した演出家、舞台美術家。小山内薫とともに築地小劇場を創設し、日本の新劇やプロレタリア演劇の発展に私財を投じて尽力した新劇運動の先駆者。
築地小劇場の創設と新劇運動の展開
土方与志は、華族(伯爵・旧新田藩主家)の出自でありながら、演劇の近代化に生涯を捧げた希有な人物である。東京帝国大学を中退後、ヨーロッパへ留学して最先端の舞台芸術を視察した。帰国後の1924(大正13)年、関東大震災からの復興期において、劇作家・演出家の小山内薫とともに、東京に日本初の新劇常設劇場である築地小劇場を建設した。
この劇場の建設にあたり、土方は莫大な私財を投じて資金面を全面的に支えただけでなく、自ら演出や舞台美術を手がけた。築地小劇場は、それまでの歌舞伎や新派劇とは一線を画す、西欧の翻訳劇を中心としたリアルで芸術性の高い演劇(新劇)の拠点となり、大正デモクラシー期における前衛芸術運動の象徴となった。
プロレタリア演劇への接近と国策による弾圧
1928(昭和3)年に小山内薫が急逝すると、築地小劇場は分裂の危機を迎える。土方は次第に社会主義思想への共感を深め、演劇を通じて労働者階級の解放を目指すプロレタリア演劇運動へと傾倒していった。彼は日本プロレタリア劇場同盟(のちに日本プロレタリア演劇同盟)の結成に関わり、左翼演劇の指導者として活発に活動を展開した。
しかし、昭和初期における国家による左翼運動への弾圧(治安維持法の強化など)は、演劇界にも容赦なく及んだ。1932(昭和7)年、土方は政府の徹底的な弾圧を避けてソビエト連邦へ亡命した。ソ連では現地の最先端の演劇に触れたものの、やがてスターリン政権下の「大粛清」に巻き込まれ、1937(昭和12)年に国外追放処分となる。帰国後は直ちに治安維持法違反で逮捕され、第二次世界大戦終戦まで投獄生活を送ることを余儀なくされた。
戦後の再起と日本近代演劇史における意義
戦後、釈放された土方は直ちに演劇活動を再開し、前進座や東京芸術舞台などの演出を手がけ、荒廃した戦後日本の文化復興に貢献した。彼は一貫して、社会の不条理を告発し、民主主義を根付かせるための手段として演劇を捉え続けた。
土方の歴史的功績は、単なるパトロンとして資金を提供したことにとどまらず、舞台照明や装置、演出といった「裏方」の技術を体系化し、日本の演劇に定着させた点にある。彼の先駆的な実践は、それまで俳優偏重であった日本の演劇界に「演出家」という職能の地位を確立させ、現代に続く舞台芸術の基礎を築くこととなった。