土地調査事業

朝鮮総督府が実施し、所有権が不明確な土地を国有地として没収し、結果的に多くの朝鮮人農民が土地を失う原因となった事業は何か?
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土地調査事業

1910年〜1918年

【概説】
1910年の韓国併合後、朝鮮総督府が朝鮮半島全域で実施した、大規模な土地測量および所有権確定のための事業。所有権の申告主義を採用した結果、未申告の土地や村落の共有地が総督府に没収され、国策会社や日本人資本家などに払い下げられた。これにより大多数の朝鮮人農民が小作農へと没落し、日本の植民地支配の経済的基盤となる植民地地主制が確立された。

事業の背景と目的

1910年(明治43年)、日本は韓国併合を行い、朝鮮半島を統治するための機関として朝鮮総督府を設置した。植民地支配を安定させるためには、その財政基盤となる確実な税収が必要であった。しかし、当時の朝鮮の土地制度は複雑であり、所有権の境界や納税責任者が不明確な土地が多かった。そこで総督府は、地税収入の安定化と、近代的な土地所有権の確立を名目に土地調査事業を開始した。この事業は、初代総督・寺内正毅の下で本格化し、1918年(大正7年)まで継続された。

申告主義の採用と事業の実態

この事業の最大の特徴は、土地の所有権を証明するために期限内の申告を義務付ける申告主義を採用した点にある。しかし、当時の朝鮮の農民にとって近代的な文書による手続きは極めて難解であり、また総督府に対する警戒心から申告を忌避する者も少なくなかった。さらに、旧韓国皇室の所有地や、村落で共同利用されていた山林や農地(共有地)などは、明確な個人の所有権を証明することができず、「無主の土地」として次々と総督府によって没収されていった。

植民地地主制の確立と東洋拓殖

総督府に接収された広大な土地は、日本政府の国策会社である東洋拓殖株式会社(東拓)や、日本人農業移民、さらには日本人資本家などに極めて安価で払い下げられた。これにより、朝鮮半島における日本人の大地主が急増した。その一方で、総督府は既存の朝鮮人大土地所有者(両班階層など)の権利については手厚く保護し、彼らを体制側に引き込むことで支配の安定を図った。こうして、日本人地主と一部の朝鮮人地主が広大な土地を独占し、大多数の農民を小作人として支配する植民地地主制が確立されたのである。

朝鮮社会への影響と歴史的意義

土地調査事業の結果、長年耕作してきた土地の権利を失った多くの朝鮮人自作農は、高額な小作料を課せられる極めて不利な条件の小作農へと転落した。生活基盤を奪われ、困窮を極めた農民の中には、土地を捨てて満州(中国東北部)や沿海州、さらには労働者として日本本土へと移住(出稼ぎ)を余儀なくされる者が後を絶たなかった。この事業による農村社会の深刻な破壊と民衆の不満の蓄積は、のちに朝鮮全土を揺るがすこととなる1919年の三・一独立運動が勃発する重要な社会的背景の一つとなった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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