中期(弥生時代)

重要度
★★

中期(弥生時代) (ちゅうき)

前4世紀頃〜後1世紀頃

【概説】
水稲耕作や金属器の使用が日本列島に定着し、社会構造が大きく変容した弥生時代の中間の時期。前期に確立された稲作技術が東北地方まで普及して生産力が飛躍的に向上する一方、金属器の普及による祭祀の発展や、土地や水をめぐる地域間の武力衝突(戦争)が本格化した時代である。

水稲耕作の全国展開と農耕技術の進化

弥生時代中期は、それまで西日本を中心に行われていた水稲耕作が、日本列島の広範な地域へと急速に普及した時期である。その北限は本州の最北端にまで達し、青森県の垂柳遺跡(たれやなぎいせき)などでは、中期前半の津軽平野で大規模な区画水田が営まれていたことが確認されている。このように、寒冷な気候の東北地方にまで稲作が伝播したことは、当時の農耕技術の適応能力の高さを示している。

また、農具の面でも重要な進歩が見られた。鉄製工具の導入によって木加工技術が向上し、鍬(くわ)や鋤(すき)といった木製農具の耐久性が高まった。さらに、従来の湿田だけでなく、生産性の高い乾田の開発も進められ、灌漑技術の発達とともに農業生産力は爆発的に増大していくこととなった。

青銅器と鉄器の普及と「使い分け」

この時期の最大の特徴の一つが、金属器(青銅器鉄器)の本格的な普及である。これらは当初、朝鮮半島や中国大陸からの輸入品であったが、中期には列島内での実生産(模倣から始まる独自の鋳造)が開始された。ここで重要なのは、両者の機能的な「使い分け」が成立した点である。

硬度が高く実用性に優れた鉄器は、主に木製農具を加工するための工具や、武器、農具の刃先として用いられた。一方、もろく美しい輝きを持つ青銅器は、祭祀や儀礼のための宝器として用いられた。特に青銅器は地域ごとに特有の発展を遂げ、近畿地方を中心とする銅鐸(どうたく)文化圏と、九州北部を中心とする銅剣・銅矛・銅戈(どうか)などの武器形青銅器文化圏という、二大文化圏が形成されるに至った。

戦争の本格化と社会の階層化

生産力の向上と余剰生産物の蓄積は、必然的に富の偏在を生み出し、土地や水源、交易ルートをめぐる集落間の争いを引き起こした。弥生時代中期は、日本列島において本格的な「戦争」が始まった時期でもある。各地の遺跡からは、矢尻が刺さったままの人骨や、刀剣による切り傷を持つ人骨が多数発見されている。

こうした緊張関係を反映し、集落の形態も変化した。周囲に深い濠(ほり)や土塁を巡らせた環濠集落(吉野ヶ里遺跡など)や、軍事的な防衛・監視拠点とみられる山頂付近の高地性集落(紫雲出山遺跡など)が各地に出現した。これらの争いを通じて集落が統合され、やがて政治的なまとまりである「クニ」へと発展していく。各地域では強力な指導者(首長)が登場し、彼らは権威を示すために大型の墳丘墓(墓頂に大規模なマウンドを持つ墓)を築き、中国の鏡(前漢鏡)などの貴重な交易品を副葬させた。これにより、社会の身分階層化が一層顕著なものとなったのである。

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