前期(弥生時代)

重要度
★★

前期(弥生時代) (ぜんき)

紀元前10世紀頃 / 紀元前4世紀頃 〜 紀元前2世紀頃

【概説】
弥生時代における最初の画期。九州北部で受容された本格的な水稲耕作技術が、西日本を中心に東へと急速に広まっていった時期である。

1. 水稲耕作の本格化と「遠賀川式土器」の広がり

本格的な水田農業の開始は、従来は弥生時代前期の開始と同時に捉えられていたが、近年の研究では縄文時代晩期末(突帯文土器期)にまで遡ることが明らかになっている。しかし、弥生時代前期に入ると、灌漑技術を用いた本格的な水稲耕作が九州北部で完全に定着する。福岡市の板付遺跡や佐賀県の菜畑遺跡などでは、水路や堰、畦畔(けいはん)を備えた整然とした水田跡が確認されている。

この農耕技術の普及と軌を一にして、西日本一帯に広がったのが遠賀川式土器(おんががわしきどき)である。福岡県遠賀川流域の立屋敷遺跡で発見されたこの土器は、壺・甕・鉢などを基本構成とし、稲作技術を携えて移動した人々、あるいは技術受容の伝播にのって、近畿地方、さらには中部・関東・東北地方の一部にまで急速に伝わった。遠賀川式土器の分布は、まさに初期の農耕文化が日本列島を席巻していくルートを示している。

2. 生産様式の変革がもたらした社会構造の変化

稲作の受容は、単なる食料生産手段の変更にとどまらず、社会構造を根本から変革させた。前期の稲作は主に低湿地を利用した湿田で行われ、木製の農具(木鍬や木鋤)が用いられた。収穫には、稲の穂先を摘み取る石包丁を用いた「穂首刈り」が行われ、収穫された米は竪穴住居内や高床倉庫に貯蔵された。

定住生活の深化に伴い、人々の共同作業(共同労働)の重要性が高まり、集落の規模は拡大した。これによって、富の蓄積や余剰生産物の管理をめぐる、緩やかな社会の階層化が始まりつつあった。また、この時期には共同体の祭祀に用いられる青銅器(初期の扁平片刃石斧やごく初期の銅鐸など)や、実用的な鉄器などの金属器も大陸から限定的に流入し始めたが、石器が依然として主要な道具として使われていた(木器製作のための大陸系磨製石斧など)。

3. 年代論争:前期の起点をめぐる「歴博説」と従来説

弥生時代前期がいつ始まったかという「弥生時代の開始年代」については、現在も活発な論争が続いている。従来の考古学では、土器の編年や中国の文献(『漢書』地理志など)との整合性から、弥生時代の始まり(前期の開始)は紀元前4世紀頃とされてきた。

しかし、2003年に国立歴史民俗博物館(歴博)などの研究グループが、土器に付着した炭化物などを対象にAMS-炭素14年代測定法を用いた分析を行い、弥生時代の開始(縄文晩期から弥生前期への移行)を紀元前10世紀頃(前950年頃)にまで遡らせる新説を発表した。この「歴博説」は、日本の農耕社会の成立時期を約500年も遡らせるものであり、当時の東アジア情勢(中国の春秋戦国時代における動乱など)との連動性を考える上でも極めて重要である。現在ではこの新年代観を受け入れる研究者が増えているものの、測定の技術的誤差や地域差を考慮する慎重派もあり、議論は完全には収束していない。

弥生時代の歴史 (講談社現代新書 2330)

最新の考古学研究に基づき、稲作の伝来から社会の変容までを網羅的に読み解く弥生時代の決定的な通史。

ビジュアル版 弥生時代ガイドブック (シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊06)

出土品や遺跡の図版を豊富に盛り込み、弥生人の暮らしや文化を視覚的に深く理解できる入門の必携書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 柿本人麻呂が得意とした、五・七の音を何度も繰り返し、最後に五・七・七の句で結ぶ長い形式の和歌を何というか?
Q. 氏姓制度が確立したヤマト政権において、有力豪族たちが所有していた私有地を何というか?
Q. 古墳時代に大陸や朝鮮半島から日本に渡って定住し、漢字や儒教、仏教のほか、様々な高度な手工業技術をもたらした人々を総称して何というか?