丸の内オフィス街

三菱が皇居前の広大な土地の払い下げを受け、赤レンガの洋風建築を連続して建てて形成した近代的なビジネス街(地区)はどこか?
カテゴリ:
重要度

【参考リンク】
丸の内(Wikipedia)

丸の内オフィス街

1890年~

【概説】
東京都千代田区に位置する、日本を代表する近代的なビジネス街。明治政府から払い下げられた陸軍用地の跡地を三菱が買い取り、赤レンガ造りの西洋式ビル街(通称「一丁倫敦」)を建設したことに始まる。大正期以降はさらに高層化が進み、日本経済の中枢としての地位を確立した。

陸軍用地の払い下げと「三菱」による買収

江戸時代に譜代大名などの大名屋敷が立ち並んでいた丸の内地区(大名小路)は、明治維新後に官有地となり、陸軍の練兵場や大蔵省・陸軍省などの官庁が置かれていた。しかし、明治政府の財政難や軍事施設の郊外移転に伴い、1890(明治23)年にこの広大な土地が民間に払い下げられることとなった。当時、草の生い茂る荒れ地であったこの土地を、政府の懇願に応じる形で一括購入したのが、三菱の2代目総帥である岩崎弥之助であった。その購入額は128万円にのぼり、当時の国家予算の約1割に相当する巨費であったとされる。

「一丁倫敦」の形成とオフィス街の発展

土地を購入した三菱は、ロンドンの金融街(シティ)をモデルとした近代的なビジネス街の建設に着手した。イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計により、1894(明治27)年に日本初の洋風事務所建築である三菱一号館が竣工した。これを皮切りに、赤レンガ造りのオフィスビルが次々と建設され、一帯はロンドンの街並みを思わせることから「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と呼ばれるようになった。さらに1914(大正3)年の東京駅開業や、大正後期の丸ノ内ビルヂング(丸ビル)をはじめとするアメリカ式大型ビルの建設を経て、丸の内は日本経済の意思決定機関が集積する、名実ともに日本最大のビジネス街へと発展を遂げた。

東京の都市計画 (岩波新書)

戦後の東京がどのように形作られ変貌を遂げてきたのか、膨大な資料と視点から都市の構造と未来を読み解く一冊。

詳説日本史図録

教科書『詳説日本史』の内容を、豊富な写真や図解、地図でビジュアル化した超定番の図録。文字だけでは理解しにくい歴史の流れや文化財のディテールが視覚的に頭に入る。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 鎌倉幕府において、侍所・政所・問注所などの各機関のトップ(長官)のことを総称して何と呼んだか?
Q. 福地源一郎が主筆を務め、明治政府の立場を擁護する論陣を張った代表的な「御用新聞」は何か?
Q. 岩手県の平泉にあり、建物の内外を金箔で覆い、須弥壇の下に奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の遺体が納められている阿弥陀堂は何か。