名古屋事件 (なごやじけん)
1884年
【概説】
1884(明治17)年9月に愛知県で発生した、自由民権運動の過激化に伴う蜂起・資金調達未遂事件。自由党の解党や他の激化事件と連動する形で、政府転覆を計画した急進派自由党員らが資金調達のために強盗を働き検挙された出来事である。
自由民権運動の過激化と「激化事件」の背景
1881年(明治14年)の「明治十四年の政変」以降、国会開設に向けて自由党や立憲改進党が結成され、自由民権運動は全国的な高まりを見せた。しかし、大蔵卿・松方正義が断行したデフレーション政策(松方財政)は、農村経済に深刻な打撃を与え、多くの貧農や地主を困窮へと陥れた。こうした経済的困窮を背景に、自由党の左派(急進派)や各地の農民は、言論による平穏な請願運動から、実力行使による政府転覆を志向する過激な武力蜂起へと傾斜していく。これが1880年代半ばに日本各地で頻発した「激化事件」である。
名古屋事件の展開と歴史的意義
1884(明治17)年9月、愛知県の自由党員であった長谷川貞雄らは、大阪の急進派らと呼応して政府転覆を目的とした武装蜂起を計画した。彼らは挙兵に必要な軍資金を獲得するため、富豪を襲撃して資金を強奪しようとしたが、事前に計画が警察に漏洩し、実行に移る前に一網打尽に検挙された。これが名古屋事件である。
本事件の重要度は教科書的には高くはないが、同時期に発生した群馬事件、加波山事件、秩父事件、飯田事件などと同様に、当時の地方自由党員が置かれていた切迫した状況を象徴している。指導部(板垣退助ら)の統制を失った地方組織の暴走は、自由党にとって致命傷となり、事件翌月の1884年10月、自由党は過激化する党員を制御できずに解党へ追い込まれることとなった。