飯田事件

1884年、長野県の自由党員らが政府転覆を目指して挙兵を計画したが、未然に発覚して弾圧された事件は何か?
カテゴリ:
重要度

【参考リンク】
飯田事件(Wikipedia)

飯田事件

1884年

【概説】
明治中期、長野県下伊那郡(飯田)において、激化する自由民権運動を背景に自由党員らが計画した武装蜂起未遂事件。松方財政下の不況による農村窮乏を背景に政府転覆を狙ったが、挙兵直前に計画が漏れて関係者が逮捕された。

松方デフレと自由民権運動の急進化

1881年(明治14年)に就任した大蔵卿松方正義によるデフレーション政策(松方財政)は、紙幣整理と緊縮財政を軸とした。これにより深刻な不況が発生し、特に養蚕・製糸業が盛んであった長野県下伊那地方(飯田地域)の農村経済は壊滅的な打撃を被った。こうした経済的窮乏を背景に、地方の自由党員や農民の間で現政府への不満が沸点に達した。当時、自由民権運動は言論闘争から実力行使へと転換しつつあり、1884年には各地で「激化事件」と呼ばれる武装蜂起が頻発していた。

挙兵計画の挫折と同時代における歴史的意義

飯田の自由党員であった長谷川源兵衛や新井正一らは、困窮する農民を組織し、名古屋鎮台(陸軍の拠点)を襲撃した後に東京へ進撃して政府を打倒する計画を立案した。彼らは同年に発生した秩父事件など他地域の蜂起と連携しようと試みたが、挙兵直前の11月中旬に計画が警察に漏洩し、実行に移る前に一斉検挙されて未遂に終わった。飯田事件は未遂ではあったものの、松方デフレという過酷な経済政策が地方民権運動をいかに過激な武装闘争へと追い込んだかを示す、明治民権運動史の激化期を象徴する出来事の一つである。

自由民権 (岩波新書 黄版 152)

明治の黎明期に沸き起こった「自由」と「民主」を求める人々の情熱と、国家のあり方を根底から問い直した闘いの軌跡。

詳説日本史図録

教科書『詳説日本史』の内容を、豊富な写真や図解、地図でビジュアル化した超定番の図録。文字だけでは理解しにくい歴史の流れや文化財のディテールが視覚的に頭に入る。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 源義経をかくまったことを理由に、源頼朝が自ら大軍を率いて平泉を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした戦いは何か?
Q. 福岡県の筑豊炭田での自身の労働体験をもとに、明治から昭和にかけての炭鉱労働の様子を絵画と文章で記録に残した人物は誰か?
Q. 東山文化の時代に発達した、水を用いず石や砂などで自然の風景を表現する庭園様式を何というか?