山本作兵衛 (やまもとさくべえ)
【概説】
明治から昭和にかけて筑豊炭鉱で働き、のちにその過酷な労働の実態や人々の生活を詳細な記録画として残した炭鉱労働者、炭鉱画家。自らの体験に基づいて描いた生々しい絵画群は、日本の近代化を底辺で支えた民衆の極めて貴重な歴史資料である。これらの作品群は2011年、日本で初めてユネスコの「世界記憶遺産(世界の記憶)」に登録された。
筑豊炭鉱における労働の体験と記録画の執筆
山本作兵衛は1892年(明治25年)、福岡県に生まれた。幼少期から炭鉱に足を踏み入れ、10代半ばから本格的に筑豊炭鉱の炭夫(採炭員)として労働に従事した。当時の炭鉱は、日本の産業革命・近代化を支えるエネルギー源として石炭を供給するため、極めて過酷な労働環境に置かれていた。作兵衛は各地の炭鉱を転々としながら、坑内での命がけの採炭作業や、夫婦で行う「先山(さきやま)・後山(あとやま)」と呼ばれる協同労働の実態を身をもって体験した。戦後、石炭から石油へのエネルギー革命が進んで炭鉱の閉山が相次ぐなか、作兵衛は「ヤマ(炭鉱)」の記憶を子孫へ書き残すため、60代半ばを過ぎてから、詳細な説明書きを添えた記録画を精力的に描き始めた。
日本初の世界記憶遺産登録とその歴史的意義
作兵衛が描いた絵画群は、公式な行政文書や経営資料には残りにくい、炭鉱労働者の労働実態、衣食住、信仰、娯楽などを当事者の視点からリアルに描いている点が特徴である。特に、かつて坑内で行われていた女性の重労働や、薄暗く危険な作業環境が視覚的に表現されており、文字資料を補完する一級の歴史資料となっている。2011年、田川市などが所蔵する作兵衛の炭鉱記録画や日記などのコレクションが、ユネスコの「世界記憶遺産(世界の記憶)」に日本で初めて登録された。これは、近代日本の発展の影にある労働の現実と、それを支えた名もなき民衆の生活文化を世界に伝える、貴重な歴史的遺産として認められた結果である。