無期徒刑 (むきとけい)
1891年
【概説】
明治時代の旧刑法に定められていた、現在の無期懲役に相当する重い身体刑。1891年の大津事件において、ロシア皇太子を襲撃した津田三蔵に下された判決として歴史上著名である。
大津事件における「法の支配」の貫徹
1891年(明治24年)、来日中のロシア皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が警備にあたっていた警察官の津田三蔵に切りつけられる大津事件が発生した。ロシアとの軍事衝突や関係悪化を極度に恐れた明治政府は、司法に対して津田を皇族に対する犯罪である「大逆罪(刑法116条)」を強引に適用して死刑にするよう猛烈な圧力を加えた。しかし、当時の大審院長であった児島惟謙は、大逆罪の適用範囲は「日本の皇室」に限定されるとし、罪刑法定主義の原則を主張した。司法の独立を守ろうとする司法官たちの抵抗により、最終的に津田には一般の殺人未遂罪(刑法292条)が適用され、その法定最高刑である無期徒刑(無期懲役)が言い渡された。
旧刑法における「徒刑」の位置づけと歴史的意義
「徒刑」とは、フランス人法学者ボアソナードの指導のもとで制定された旧刑法(1882年施行)に規定されていた刑罰である。被告人を監獄に拘禁し、所定の作業(徒役)を科すもので、終身に及ぶものが「無期徒刑」と呼ばれた。津田三蔵に下された無期徒刑の判決は、政府の干渉を排除して司法の独立を守り抜いた「近代日本司法の確立」を象徴する出来事として高く評価されている。この判決は、日本が野蛮な人治国家ではなく、厳格に法を運用する法治国家であることを国際社会に示すこととなり、後に悲願であった不平等条約の改正(領事裁判権の撤廃)を有利に進める大きな要因の一つとなった。